陰陽道

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陰陽道(おんみょうどう)は、古代中国五行説をよりどころにして日本奈良時代平安時代につくられた道路、及びその保守・管理にかかわる技術である。道術的な理論を機軸として作られたため、的・風水的に非常に安定しており、魑魅魍魎から都を守る役割を持たされてもいた。この道の保守点検に当たる役人が陰陽師であり、彼らが使う技術も後に陰陽道と呼ばれるようになった。

概要[編集]

山陰山陽地方から都までをつなぐ重要な道路で、日本発の国道でもあるため、一部では国道零号線とも呼ばれる。この道路は物資の運搬や人の通行にも使われたが、一方で各地の山岳霊場(伯耆国の大山など)をつなぐという意味合いもあった。

ルート[編集]

名前のとおり、沿線には陰陽師たちを多く排出しており、周辺には著名な陰陽道の修行所なども多い。たとえば有名な蘆谷道満は陰陽道山陽線の出身である。始点は全て都であるが、その正式な場所には諸説あり、御所内という説・一条戻橋であるという説・羅生門であるという説などが混在している。これらの道は後の山陽道山陰道とは異なるルートを通り山陽山陰の各地をつないでいたといわれる。山陰方面と山陽方面の分かれ道ははっきりとはしていない。

当時の記述[編集]

当時の国土交通をつかさどる木工寮の文書にはこの道路のことについて「あらゆる困難が律令で解決するこの平安の時代、人々の閉ざされた心の闇に蔓延る魑魅魍魎が存在していた。律令政治の力ではどうしょうも出来ないその奇怪な輩にたちむかう神妙不可侵にて胡散臭い道路が存在していた」と記載されている。当時の一線級道路にしてはぞんざいな記述だが、これは扱う管轄が木工寮ではなく陰陽寮であるためであり、この道路の存在のために木工寮と陰陽寮は対立したとも書かれている。

この対立は平安時代になるとさらに激化し、陰陽寮側は道路の事のみに拘り霊的なことをまったく無視する木工寮の役人の事を「道路賊」(どうろぞく、道路の事のみにこだわる愚かな国賊)と陰口まで叩くようになったという。

平安時代以降[編集]

一方、武家が台頭してくるとこの道路の扱いは非常に悪くなる。もともとがちょっと外れた街道のため道幅が狭く行軍の妨げになるためである。このため鎌倉時代以降は、山陽道・山陰道の発展のかげに埋もれ、陰陽寮も道路を扱わず本職の占術などのみ扱うようになり、この道は次第に忘れ去られていく事となる。

現在に伝わる陰陽道[編集]

現在では一部の伝承者のみしか陰陽道の事は伝わっていない。しかし陰陽道ゆかりの言葉は現代でも頻繁に使われている。

異亭使[編集]

異亭使(いていし)とはこの陰陽道の各地の関所を護る役人である。その役割は正式な通行者から通行料を徴収することである。しかしながら正式な資格を持っていない場合は割高の通行料を要求したり、深夜にこっそり割引料金で人を通したり、高額な通行証を売りつけたりなどしたため、当時の旅人からは忌み嫌われたとされる。現在のETCはこの名残であり、非常に由緒正しい取り料金徴収法である。

覆面検非違使[編集]

陰陽道は陰陽術の修行場でもあるため、周辺は主要道路沿線にしては寂れていることが多く、通行人を狙った盗賊なども出現したといわれる。これを取り締まるために朝廷は本来都を護る検非違使(けびいし、警察)を陰陽道の通行者として返送させて何食わぬ顔で通り、油断して襲ってきた盗賊を返り討ちにして捕まえたとされる。現在の覆面パトカーはこの名残であり、非常に由緒正しい取り締まり方である。

大碑守[編集]

大碑守(おおひす)は都の陰陽師達がこの道を霊的に護るために設置した石碑である。特殊なまじないがかけられており、通常の通行人にはまったく危害を加えないが、邪悪なものや魑魅魍魎が通行した場合はこの大碑守が赤く発光して動き出し、懲らしめるといわれるものである。現在でも自動速度取締機として使われるオービスはこの名残であり、非常に由緒正しい取り締まり方である。

根摘鳥[編集]

根摘鳥(ねつみとり)とは陰陽師がこの陰陽道を護るために使った式神の一種とされる怪鳥である。伝説では根摘鳥が街道のあちこちに潜んでおり、普段はこの道路を見守っているが、害するものが通りがかった場合は主にそれを知らせる役割を持つといわれる。実際には数人の斥候を配置し、怪しいものが通りがかった場合は警備者の詰め所に連行するという制度である。すでにお気づきのことだとは思うが、現在でも速度超過を取り締まる際に警察が行うネズミ取りはこの制度の名残であり、非常に由緒正しい取締り方である。

関連事項[編集]