西芳寺

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西芳寺(さいほうじ)は京都市西京区松尾神ヶ谷町にある廃墟。元は臨済宗の寺であったのだが、江戸時代末期より苔に覆われ始め、ついに1977年、完全に打ち捨てられた。一般的には苔寺として知られている。

歴史[編集]

奈良時代の僧・行基が開祖と伝えられる。当初は「西方寺」という名前で、法相宗の寺であった。空海法然などの名立たる僧たちが、手土産とを持って徹夜麻雀しに来たと伝えられる。1339年にはすっかり荒れ果てていたようで、夢窓疎石が臨済宗の寺として再興、名を西芳寺と改めた。金閣銀閣は、西芳寺瑠璃殿のデザインをパクって建てられたもので、足利義満足利義政とが当時の住職に著作権侵害で訴えられたことはよく知られている。しかし義政は懲りず、むしろ意固地になって、東山山荘の作庭に際し西芳寺の庭園をパクったという。

一時は天下一の名庭とまで称された西芳寺であったが、応仁の乱で焼失。蓮如が復興させるも、江戸時代には2度も洪水に襲われた。元は枯山水であった庭園は、江戸末期に苔で覆われていった。当初は緑の絨毯だとか幽玄の美だとか盛者必衰だとか言われてもてはやされた。ところが、やがて苔は庭の地面だけに留まらず木々、本堂、茶室、鐘楼、僧房までも全て多い尽くし、西芳寺は苔でできた山になり果てた。

しばらくはこのジメジメした状態にも耐え忍んでいた僧侶や住職たちであったが、苔で仏像だか柱だかわからんものに合掌読経しても空しいし、木魚を叩いてもいい音出ないしで、ついに1977年に完全に放棄した。苔が建物の老朽化を促進していると考えられることからも、涙を飲んで退去した彼らは賢明であったと言える。

都市伝説[編集]

苔が繁殖するためにはかなりの湿気が必要となる。しかし、西芳寺にカビが生えたという話は一向に聞かない。このことから、苔がカビの菌を捕食しているのではないか、という説が囁かれている。また、最後に西芳寺に突入した探検隊は、「昆虫などの苔以外の生物を全く見かけなかった」と証言した。さらに、1977年まで同寺で生活していた関係者の誰もが、当時の状況を黙して語ろうとしないため、次々に憶測が憶測を呼んでいる。最も極端な説として、「小坊主や用務員など数人が苔に食い殺されたので、怖くなって逃げ出したのではないか?」というものまである。

関連項目[編集]

Wikipedia
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