藪入り

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藪入り(やぶい-)は、明治時代に起きた日本の大規模な違法労働事件である。雇用先に告発の事実が判明することを恐れた告発者は、落語家を代理人に立てて告発を起こしたことから、落語の演目の一部として今もなお演じられ続けている。

概要[編集]

江戸時代、商家へと丁稚や奉公に出された若者(未成年含む)にとって唯一許された休日が1月15日(旧暦)であった。これを藪入りというようになった。時代が進むにつれて後の藪入りとして盆の7月15日(旧暦)にも休日が許されるようになったが、いずれにしても年間二日のみの休日である。その二日間も、街に出たりするのではなく、実家へ帰ることを強制された休みであるため、自由な休日というのはほぼ皆無に等しかった。しかも、奉公先の正月や盆の行事を済ませてからの帰郷であるため、実家で正月・盆行事を行うことは不可能というものである。

その後、徳川慶喜が京都から江戸に敗走してすったもんだの末に明治時代が到来し、武士は髷を切り落として刀を持たなくなった。しかし、商家の仕組みは全く変わらず、奉公人らに許された休日は年間二日のみ。江戸の折とは異なり、明治日本は街も近代化する中、たった二日の休みで田舎へと帰らないといけないのは明らかにおかしいのでは、と疑念を抱いた奉公人らは、ついに「違法労働案件」としての告発を決めたのである。

当時は弁護士などもいなかった時代であり、代理人として落語家を立てた。初代柳家小せんであり、その後は三遊亭金馬が引き継いだ。こうして、世間に過酷な労働の実情が広まると、巷では「てやんでぇ!休みが2日しかなかったのは俺だけじゃなかっただと!?こいつぁ驚いた」といった具合に告発に同調するものが続出。一説には10万人がこうした違法な労働をさせられていたとも言われている。また、この時落語家に依頼費として出したのは金額ではなくネズミ3匹。これはこの時代、ネズミを捕まえて届け出れば懸賞金を貰えるため、セルフサービスで換金しろという意味で出された。

こうして一大社会問題となった藪入り事件だったが、昭和に入ると休みは日曜と変わっていき、GHQが統治するころには藪入りが姿を消した。今となっては正月と盆の小仏トンネルや海老名サービスエリア付近の大渋滞にわずかな形を残すだけである。

落語の演目として[編集]

藪入りが社会問題となったのは落語家によるところも大きい。当初は奉公人の悲痛な訴えであったが、昭和の戦前期には一つの演目として定着するようになった。戦後には「かつてこんなひどいことがあったのか」という笑いになって、笑点の馬などが得意とした。

ところが、平成の終わりかけになると途端に寄席でウケなくなる。落語家の実力不足ブラック企業等が話題となり、D社などで過労自殺が相次いだことが一因と考えられている。

当時の奉公人は、休日こそわずか年間2日(遠方の場合4日)であるが、毎日朝7時から夜7時までの12時間勤務で、残業もなし、さらには盆と正月には休みを貰えていた。現代の日本では正月も盆も休めず、労働時間は15時間超えも珍しくないうえ、残業はサービス残業当たり前。これでは笑いの種になるどころか、妬みの感情しか湧かないということで、藪入りが近年ウケなくなったというわけだ。

関連項目[編集]


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本項は第38回執筆コンテストに出品されました。