竜田川

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竜田川(たつたがわ、1776年~1856年)は、江戸時代に活躍した力士豆腐屋。大阪鷹軍に所属していた。本名は野野村達郎。

目次

[編集] 人物像

性格はいたって真面目で女には目もくれず相撲に精進する。しかしながら、カッとしやすい性格でときに前後の見境のない行動をすることがある。山本山、朝潮と同い年に入団する。

[編集] 経歴

竜田川は子供の頃から身体が大きく、力持ちであった。周囲の薦めもあり相撲部屋に入門する。真面目な竜田川は数々の誘惑にも負けず日々つらい稽古に励み、当時の最高位であった大関にまで昇進した。ところが大関昇進後まもなく、遊廓での騒動をきっかけにその地位を捨て実家の豆腐屋を継ぐ。その数年後には口論のすえ女性を突き飛ばし井戸に落とし死亡させるという痛ましい事件を起こした。

[編集] 成績

  • 通算勝利数   108勝
  • 通算敗北数    44敗
  • 最多勝記録    15勝 寛政8年名古屋場所にて達成。また、寛政12年台湾場所でも達成。
  • 通算救援数    35セーブ
  • 通算打率     .412
  • 通算安打数   1439本
  • 通算本塁打数  420本
  • 通算盗塁数    38盗塁
  • 通算三振数   124三振

[編集] エピソード

大関に昇進した竜田川はタニマチに吉原につれて行かれた。花魁の千早大夫に一目惚れするが「相撲取りなんて嫌い」とあっさり袖にされてしまう。それどころか千早がかわりに行ってくれと頼んだ妹分の神代にまで馬鹿にされる始末。「一所懸命頑張って大関にまでなったのに、このように馬鹿にされるのではたまらない。相撲取りなんて辞めてしまえ」と竜田川は廃業してしまった。

廃業後、郷里に戻った竜田川は実家の豆腐屋をついだ。豆腐屋の仕事は朝が早く力仕事も多くキツイものであったが、相撲取りとして大関まで上り詰めた竜田川にとっては何程のことでも無かった。また根っからの真面目さ故に商売もおおいに繁盛し身代を大きくした。

ある日、裏庭に女乞食が現れ「おからを分けてくれ」という。哀れに思った竜田川が両手に掬ったおからを差し出す。「ありがとうございます」といっておからを受け取ろうとする女乞食の顔をよく見ると、それは落ちぶれた千早大夫であった。積年の怨み辛みを思い出しカッとなった竜田川は思わず千早を突き飛ばし、井戸に落としてしまう。(井戸のそばに倒れ込んだ千早が自ら井戸に身を投げ自殺したとする説もある)ちなみに、千早大夫の本名は”とわ”である。

なお、竜田川は実在の力士であることが在原業平の研究により証明されている。一部で言われているような「知ったかぶりのご隠居の作り話」なんてことは断じてない。

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