盲目女子高校生傷害事件

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盲目女子高校生傷害事件(もうもくじょしこうせいしょうがいじけん)とは、2014年にJR線のとある駅で発生した色々な意味で問題がありすぎる傷害事件である。

概要[編集]

事件は2014年9月8日、埼玉県川越市にて発生した。全盲の女子生徒(高1)が通学途中、誤って歩行者(40代)に杖を引っ掛けてしまい、その結果歩行者は転倒。怒り狂った歩行者は女子生徒の脚を全力で蹴り上げ、その後何事も無かったかのように歩き出した。女子生徒はこそ折らなかったものの膝を曲げると痛みを感じると訴え、全治三週間の怪我だと告知された。

犯人[編集]

犯人はアンガーマネージメントが出来ない現代の一般人…と、思いきや、施設通いの精神障碍者だった。結局警察事情聴取されたものの、受け答えもままならない程精神的な疾患があり、取り調べは難航した。そしてこの事が後々重大な論争を生むことになる。

疑問点[編集]

健常者が犯人であれば「これはどう考えても犯人が悪い」となっていたであろう。だがそうはいかなかった。そう、犯人は精神障碍者であり、物事の善悪が付きにくく、責任能力があるかすら疑われる。そもそもこの事件には膨大な疑問点や明らかに矛盾している様に見える点もある。考えられる疑問点・矛盾点を下に挙げる。

どちらが悪いのか[編集]

事件は生徒の白杖に引っかかって歩行者が転倒した事から始まる。そもそも視覚障碍者は身の回りに存在する障害物を探知するために常に半径1m程の範囲で白杖を突いている。その半径に入ってしまったのであればそれは入った方が悪い、それは当然である。しかし今回の事故は通常とは違い、通勤ラッシュ中に起きた。そもそも通勤ラッシュ中に半径1mの範囲を避けて通りましょうという話の方が無理難題、というか確実に無理である。通勤ラッシュ中に棒を振り回している人間がいたら視覚障碍者で無ければ確実に押しつぶされていただろう。そういう面では歩行者が転んだのも極当然と言えば当然だし、何も不自然な事では無い。

「蹴る」という行為は責められて当たり前だ。しかし犯人が精神障害者でうまく話す事が出来ないと考えると、蹴るという行動も本人にとっては自身の意思を伝える為の手段だとも受け取れる。

何故か女子生徒だけが過剰に擁護され、加害者側だけが叩かれるという事を考えると、明らかに世の中が被害者寄りであり、同時に加害者に対する理解が皆無に等しいという事が伺える。尚、これはほんの一部である。

謝罪の言葉[編集]

何とこの事件、被害者と加害者、どちらも謝罪していない。女子生徒側は自身の脚が蹴られた事だけを問題視し、容疑者は取り調べに受け答えられない事を考えるとそもそも論外である。お互いに謝辞が無いのであれば、状況は進展しない。これは人間社会の摂理であり、避けては通れない道である。

それどころか女子生徒はテレビ朝日の取材に対し、「私は点字ブロックの上を白杖をついて歩いていたんですね。そしたら正面からぶつかってきた感じがしたけど、私が歩き続けていたらその方が起き上がってきて私を追いかけてきて…」と話している。つまり真正面から正面衝突したのにも関わらず我関せずと言わんばかりに歩き去ろうとしたのだ。

立ち上がって追いかけてくるなんてなんと執念深い・・・ あれ、どっちが盲目なんだっけ?

校長の発言[編集]

女子生徒の通学する県立盲学校、塙保己一学園(はなわほきいちがくえん)の校長は、「無防備の生徒を蹴るなんてショックで悲しい。身元が分からないようわざと声を出さなかったのならさらに卑劣だ」と話した。そしてこの時点から間違っている。身元が分からない様に声を出さなかったかどうかなど本人以外の誰にも分からないし、決め付けるのは些か早計である。相手が健常者では無いのであれば尚更の事。こういう発言を取り上げても、社会は健常者とは少し違う精神構造を持つ者には理解がまだまだ足りないとよ~く解る。

白杖の問題点[編集]

白杖というのは視覚障碍者にとってはそのものである。白杖は色が白く塗られており、先端は人々の注意を引く為に赤くペイントされている。だが、混雑時には関係無い。あのバーは人々を自身の半径1m以内から遠ざける結界を張る訳でもなければ黒魔術を発動させる事が出来る訳でもない。そう、今回の通勤ラッシュ時の様な場合、周りにいる人々、それも駅構内の端から端までの人間全てが「視覚障碍者がいる」と認識しなければ半径1mだけを開けて歩くなどという事は不可能だろう。いや、認識されていても不可能である。最近の若者は薄情な奴が増えてきており、マナーの欠片も無い様なバカヤロウ共も増加してきている。そんな今の彼らに半径(略)を避けろと言っても無理だ。ではどうするべきか。



そうだ 法改正、しよう。


法改正で視覚障碍者の半径1mを避けて通らないと罰金、という制度を作ってしまえば良いのである。そうすれば誰も彼らをトラブルに巻き込む事なく、というより誰も諍いに巻き込まれる事もなく、平和に、誰でも安心して歩ける様になるのだ。最も、その様な制度を作り続ければPSYCHO-PASSのシビュラシステム並の社会になりそうな気もするが、まあそれも障碍者に対する差別を無くすための取り組みと考えれば納得できるであろう。簡単な話である。

点字ブロックの存在意義[編集]

「白杖は目の代わりだが、全ての障害物を感じられるわけではない。点字ブロック白杖について健常者の方に理解してもらえれば」女子生徒はこう話している。

点字ブロックは視覚障碍者の為の通路であり、同時に物理的にどの方向に何があるかを指し示す看板の様な役割も果たしている。だが、何度も何度もしつこく前述した通り、今回の事故はラッシュ時に発生した。ラッシュ時に黄色い線だけを通らないようにするのは白杖を避ける事よりはまだ簡単だが、それでも難しい。逆に避けろという方が少し非現実的なのである。皮肉な事に、点字ブロックも白杖も混雑で他の人から見えなければ何も無いのと変わらないのが現状である。

そもそも「理解」と言うが、海外ではどうだろう。実は殆ど普及していない。最近は少しづつ整備されてきてはいるが、それでもまだまだといった所、場所によっては明らかに孤立した点字や解りにくい形状になっており、とてもじゃないが現実的では無い。それに比べれば日本は世界屈指のバリアフリー大国であり、日本ほど身体障碍者に優しい国は無い。点字があらゆる場所に存在し、都心部の駅にはエレベーターやスロープが整備され、バスも電車も段差が少なく、と、かなり身体障碍者の事を考えた街の作りとなっている。そういう面では障碍者への理解はかなりされているはずなのだが、それでも足りないと主張する者も多い。これもかなり皮肉な事だ。

ネット上の反応[編集]

この事件に対して「視覚障害ならラッシュ時歩くな」「杖ぶつけられたら誰だって怒るわ」「自業自得」などというバッシングが一部で起こった。昔からこの手の事件が起これば被害者の落ち度を糾弾する輩は少なからずいたが、インターネットの流星によってより可視化されるようになり、そうした意見を持つ者同士で同調しやすくもなった。

なぜこのような反応が起こったのか。詳らかではないが、以下の二人の人物が影響していると推測されている。

  1. 佐村河内守
  2. 乙武洋匡

これとは別に、憂国の志士達はいつも通り「障碍者の少女は半島人だ、支那人だ、謝罪と賠償を要求する為わざと自分から当たりに行ったんだ」などと吹聴している。

視覚障碍と精神障碍[編集]

精神障碍者は責任能力が無いとして罪を免除される事があり(その代わり施設に入れられる事もしばしば)、社会は手厚いサポートと情けを身体障碍者に施してきた。今回のケースは精神障害者と視覚障碍者、どちらが法的に争ったら勝利するのかという貴重なケースでもあり、後々の裁判にも役立つ事であろう。最も、判決が出れば負けた方の保護団体が判決に異議を唱える事は必死なので、これからの動向が注目される。

肢体障碍者[編集]

視覚障害者のための点字ブロックは、車椅子の歩行の障害になる事が、以前より指摘されていた。視覚障碍者と精神障碍者の法廷闘争に対し、さらなる第三勢力として彼らが介入する事も予想される。「身体障碍者」というくくりでは視覚障碍者と肢体障碍者は同類であるが、バリアフリー社会においては不倶戴天の敵となっており、今後も予断を許さない。

関連項目[編集]