皇位簒奪
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皇位簒奪(こういさんだつ)とは日本人なら誰もが夢見る事。日本の歴史上誰も成功していないので、達成すれば快挙である。日本の左翼は天皇制廃止を表向き唱えているが、実際は天皇になりたくってしょうがないのだ。
やり方[編集]
軍隊を率いて皇居に攻め上り、三種の神器を奪えばいいだけである。簡単なことなのだが玉無しぞろいの日本の権力者は誰一人としてこれが出来なかった。
過去の失敗例[編集]
- 狭穂彦(サホヒコ)
- 皇后である妹狭穂姫に「私と夫(垂仁天皇)のどちらを愛している? 私の方を愛しているというのなら夫を殺せ」と迫ったシスコン。けっきょく佐保姫は垂仁天皇を殺せず、最期は兄妹一緒に心中した。
- 継体天皇
- 一応、応神天皇の5世孫とか記されてるけど、実際のところ、どこの馬の骨とも知れず、もしかすると簒奪者かもしれない……と思ってみたりしたんだけど、ものすげー違う気もしている。今の天皇は継体天皇の血統である上、天皇は万世一系という建前なので、この議論は事実上タブー。
- 道鏡
- 彼はぴーが非常にぴーであることで知られ、女帝の孝謙天皇の下半身を検閲により削除した。しかし、ぴーが腹上ぴーしてしまい失敗。
- 源定省
- 臣籍降下してるのに皇族に逆戻りしているのでも大問題なのにこの人は勢いで天皇になっているから大問題かもしれない。でも光孝天皇の皇子だからいいと思っているそこのあなたさん、源頼朝が皇位につくのと同じですよ。どう思います。
- 平将門
- 関東地方一円を平定して新しい天皇=新皇を名乗ったが、お家騒動の果てに、合戦中にどこからか飛んできた一本の矢が眉間にクリーンヒットして戦死。死後は最強の怨霊となり、加藤保憲などと死闘を繰り広げ、東京を二度ほど更地にしている。
- 足利義満
- 非常にわがままな性格で、天皇・上皇専用の畳を金閣寺に設置してドッカリ座るなど、皇位を奪おうとした。そのあまりの暴挙に驚いた寺社奉行・蜷川新右ヱ門は、次第を一休さんに報告して泣きついた。結局一休さんのとんちによって阻止された。
- 織田信長
- 居城の安土城天守閣を築く際に、あえて「天主閣」と名付け、自らを神として崇拝を強要し、天皇を越えようと画策。危機感を抱いた朝廷が明智光秀を唆して、信長を討たせたものの、後は用済みとばかり光秀を見殺しに。
- 北白川宮能久親王
- 戊辰戦争時に旧江戸幕府に擁立されるも、乗り気でなかった為、幕府軍の敗北と同時に僭称を無かった事にした。
- 熊沢寛道
- 南朝の末裔であり南斗鳳凰拳第118代伝承者であった。本物に22年ほど先駆けて膵癌で死亡。後に親族4人が挑戦するも、悉く失敗。
- 黒沢明
- 親友と信じていた三船敏郎、角川春樹によって阻止される。ただし三船敏郎は後年になって、「クロサワ天皇というカタカナの名前はどうかなと思う」とネーミングに反対していただけであり、黒沢明の即位そのものには反対しておらず、全くの誤解によるものであった事が、死後になって判明した。角川春樹は戦国自衛隊を率いて黒沢明の即位を阻止するも、その後コカイン疑惑により逮捕・投獄される。
- 麻原彰晃
- 自らを神聖法皇と自称し、東京にサリン70トンを散布して天皇を含めあらゆる人間が死滅した首都圏を制圧するという皇位簒奪計画を企てていたが失敗し死刑判決を受ける。
関連項目[編集]
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