津南町

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津南町 (つなんまち) とは、新潟県中魚沼郡唯一の町であり、毎年冬になると、天気予報やニュースにより、全国的に知られる豪雪地帯である。

地理[編集]

津南町は豪雪で有名な新潟県の最南端に位置する。つまり、日本海を通過して湿気をたっぷりと含んだシベリア寒気団が中部地方の山塊に当たり、上空に巨大な雪雲を形成する、まさに直下に位置している。また、津南町は、日本一の大河信濃川と中津川による侵食、苗場山や鳥甲山などの火山による地殻変動によって見事な河岸段丘が形成されてる。9段(一説には13段)の段丘がはっきりと確認でき、その規模の大きさや地形の見事さから日本一の河岸段丘と言われている。その地形に町が形成されているため、下は川沿い、上は2,145mの苗場山の裾野の近くまで農地にしやすい平地が存在している。 苗場山麓開発計画による開発で、沖の原地区では大規模な高原野菜の栽培が行われている。 アスパラガス、スイートコーン、冬季雪下に寝かせ春先に掘り出す「雪下にんじん」を始めとし、ゆりの「カサブランカ」では全国的に見ても非常に高い評価がされ、東京都内の一流デパートで販売されている。デパートで一番高額なゆりが津南産だと思って間違いないだろう。市川海老蔵が津南を訪れ、このカサブランカを実際に確認して結婚披露宴での飾花に採用した。

歴史[編集]

古代[編集]

こんな雪ばかり降っている土地なのに、実は縄文時代から延々と人が住み続け、この地方独特の文化を築き上げていたことで知られている。まぁ、住みづらいほうが戦火に巻き込まれにくいという逆説の日本史のような話であるけれど。しかしながら、1箇所に延々と住み続けた結果、ン千年の規模で火焔土器などという、げーじゅつが爆発したような国宝をそこらじゅうに埋めまくることが可能になっていた。もっとも、ごくごく近い場所にある糸魚川市姫川流域で取れたヒスイは、全国各地どころか、海を渡って中国にまで、およそ人が行き来する場所にばら撒かれまくっているような状況であり、単なるひねくれた土の塊は信濃川流域にしか出てきやしない。

近代[編集]

また、近世に入ってもとことん中央の情勢とは関係ない道を歩むのが特徴で、普通に町内でもっとも山奥にある集落、「秋山郷」には平家の落人伝説が存在したり、南北朝時代においても、まったく空気を読むことなく、最後まで南朝側を支持したり、さらには隣に位置する十日町市松之山地域が、古典落語「松山鏡」(鏡を知らない人たちが初めて鏡を見て・・・という話)の舞台になっているなど、その類の話がごちゃまんと存在する。

ただし、ウィキペディアにある秋山郷の記事にある、昭和時代の初め、住民が村を訪れた測量隊に向かって「源氏はまだ栄えているか」と聞いたような逸話は、単に村人が測量隊をからかっただけである。なぜなら、文明開化によってこの山間の僻地にも学校なぞという教育機関ができ、さらには交通網の発達により、郵便などという制度もまた、昭和初期にはこの地域に根付いている。ただし、この話は昭和初期どころか、平成、さらには2000年代に入ってもまだ鉄板ネタで通用するところに、秋山郷のよさがある。・・・恐ろしさとも言う。

ちなみに、秋山郷にも関係する話として、津南町では第二次大戦から数年を経た1953年に、日本の民俗史における歴史的な発見が生まれている。それは、アンギンと呼ばれる織物で、縄文時代の中期に日本全国に広がり、各地の遺跡から出土し、その素材はカラムシ、アカソ、ミヤマイラクサなどの繊維を使っていたことは知られていたが、どのように織られていたかは謎とされていた布であった。しかし、その存在は、鈴木牧之北越雪譜や秋山郷を題材にした文献「秋山紀行」などで確認されており、長く、秋山郷にその痕跡が残されているのではないかと疑われていた中での発見だった。もちろん、地元民にとっては単なるゴワゴワした布だった。しかも、その7年後、実際にアンギンを制作したことがあるという人物が存命であることも分かり、アンギンを制作するための工具も残されていた。この地に、縄文時代から連綿と続く技術が伝承されていることに、日本の学界は驚いたが、住んでいる人間はまったく驚きもしなかった。なぜなら、その後、噂を漏れ聞いた周辺の市町村から、続々とアンギンとその制作工具が出てきたためである。いや、だから地元民にとっては単なる布なんだって。最終的に、50点以上ものアンギンと工具が出た段階で、新潟県はアンギンを都道府県指定有形民俗文化財に認定、現在、各地の歴史民族博物館では、縄文時代に興味を持った子供達に、実際にアンギンを作ってみよう!などという公開講座が行われるまでになっている。

現代[編集]

しかし、大正時代に入ると俄然この地域一帯が脚光を浴びることになる。これは、エネルギー革命の一つとして、電気の需要が急増したことに加え、水力発電にふさわしい切り立った山と深い谷、雪がもたらす豊富な水など、水力発電にとっては理想的な条件がそろっていたためである。つまり、ダムを建設するのに、人を立ち退かせる必要もないほどのド田舎の中のド田舎だった。そのため、津南町を含めて、長野県飯山市野沢温泉村栄村、新潟県十日町市といった信濃川(長野県側だと千曲川)周辺、さらにはその支流も含めて、流域にある市町村にはダムやら発電所やらが大量に作られることになり、現在でもそこで作られた電気が東京に送られて、毎日山手線を動かしている。

この大規模開発に際し、津南町となる前の村々では特に反対運動が起こるようなこともなく、川を渡るのに渡し舟を使わなくてよくなったので大歓迎する住民がほとんどだった。自然破壊?知るか、そんなもん、という世界である。一応、文明開化して50年以上過ぎた日本の光景である。ただし、それまで普通に長野県までさかのぼっていた鮭が全く見られなくなったことだけは確かであるけれど。

ダムの建設現場には様々な話があり、一部、「越後の地獄谷」などという悲惨な話も存在している。なにやら、タコツボ部屋に朝鮮人を押し込めて強制労働させて、反抗したり脱走したら即殺害、その結果、下流の住民が、毎日のように上流から死体が流れてきてビックリ、などというとんでもない話も残っている。もっとも、こんな話、日本全国の炭坑で行われていた、坑内で火災が起こったら生存者ごと穴を埋めて水を注入なんて話に比べたら、かわいいかわいい。

なお、この時代、発電所を建設するために東京都から長野県飯山市に移り住んだ関係者の中に後の大スターがいて、あまり津南町と縁もゆかりもないにも関わらずにその芸名から津南町と深く関わることになる。そのスターの名は越路吹雪。彼女は、飯山市の中学校を中退した後に宝塚音楽学校へ入学、その後、宝塚歌劇団の男役からシャンソン歌手として一世を風靡している。それがどうして津南町と関係しているかというと、彼女の父親が建設していた発電所があるのは、長野県以外は津南町が中心。そして信濃路ではなく越路と名乗っている以上、雪が吹いているのは津南町以外ほとんどありえないことになる。ただし、あくまでも笑い話の範疇であり、詳細は不明。一応、家族と話し合って名づけたという話である。この段階でほぼ津南町確定だけれども、もっとも、この時代はまだ津南町は存在しておらず、6つの鄙びた村があるだけだった。

1955年、外丸村、上郷村、芦ヶ崎村、秋成村、中深見村、下船渡村が合併。津南町が誕生する。

豪雪[編集]

津南町を語る際に、どうしても語らなければならないのが豪雪についての話である。なお、以下に述べる話は、けっして誇張されたものではない。

津南町にとっての大雪とは?
だいたい、156cmぐらいが目安になります。1日に積もる量で。あわせて、1日1m積もったぐらいでは、ごく普通です。
雪が積もりすぎて1階から出ることが出来なくなり、家の2階から出入りをするって本当ですか?
大きな誤解です。1990年代以降、2階に出入り口がある家が普通になりましたので、1年中2階から出入りをしています。
平成18年豪雪のとき大変だったみたいですが、津南町ではどれぐらい大変だったのでしょうか。
毎年2月までに積もる雪が、12月の2週間で積もりました。そのスピードに多くの住民はビックリしましたが、積雪量については、五六豪雪を経験していた年代は笑っていました。昭和20年の豪雪を覚えていられた方は、平然としておられました。なお、全国の方々はあんな雪が積もって生活できるのか、とご心配されたようですが、毎年2月はあれが普通です。
津南町で今まで積もった最高の雪の高さはどれぐらいですか
人が住まない谷間の吹き溜まりみたいな場所では、毎年10m以上積もっていますが、人が住んでる場所だと、昭和20年の豪雪のときに、627cm積もったというのが記録です。そのとき、隣にある長野県栄村だと785cm積もったそうです。あわせて、昭和2年に上越市の板倉で、非公式ながら8.18mの積雪を記録したこともあります。そもそも、4mを越えるともうどうでもよくなります
なんで住んでるんですか
冬は地獄ですが、その分、春が世界一だからです。もっとも、日本海側の人間なら誰だってそうだと思いますが。
毎日スキーが出来てうらやましいです
一生、スキーをできないほうがうらやましいです。
雪に関しての逸話を教えてください
平成18年豪雪のときに、自衛隊が道路わきに積もった雪を取り除く作業に当たりましたが、翌春、雪解けとともに作業した場所から大量のカップラーメンの容器が出てきました。住民は苦笑していました。また、同じく平成18年豪雪の際、某テレビ局のスタッフが豪雪の取材と称して一般人の家に泊まりこみ、一般家庭が冬用にとっておいた保存食を食い散らかして、そのままライブドアショックの取材に東京へ帰りました。住民は怒っていました。
今みたいに機械が発達していない時代はどうやって生活していたんですか
基本は人力です。今でもそうですが、隣近所との付き合いこそが大切です。一例を申しますと、その昔、山の上の集落で急病人が出た場合、近所中の働き手をかき集めて、カンジキを全員が履いた状態で一列になって、雪で埋まった道を踏み固め、交代しながらふもとの医者までたどり着くのが常識でした。途中、雪崩で急病人じゃない働き手のほうに犠牲が出ることもありました。ですので、新潟県内の道路を山の上まで徹底的に整備して消雪パイプまでつけてくれた田中角栄神様以外の何者でもありません

観光[編集]

前述した信濃川河岸段丘のほかに、日本百名山に選ばれ、なおかつスキー場も有名な苗場山が存在し、多くの登山客でにぎわっている。あまり地元にお金は落さないけれど。あわせて、豪雪地帯で最も集金能力の高い施設、スキー場は津南町側には2つしかなく、有名なものはグリーンピア津南しかありません。。他の有名どころは全て隣の湯沢町に持っていかれている。他にも、日本の名水百選にも選ばれた「竜ヶ窪」なる池があり、名水を求めて県内外から多くの観光客が訪れている。もちろん、湧き水なのでタダ

山一つ向こうに、お金の話で耳にタコができる町があると、どうしてもつつましく生きてしまいたくなるようです。

経済[編集]

聞くな。

津南町出身の有名人[編集]

だからKI☆KU☆NA

  • 現役東大大学院生 - 津南町議選トップ当選を果たすとともに、津南町議会始まって以来の傍聴席満員という金字塔を樹立。

交通[編集]

どこぞの日本の知を自負するウィキペディアには、町内には高速道路が整備されておらず、大都市からのアクセスが悪いなどと書いてある。本当に書いてある。


アホか


もし、交通の便が良かったら、火焔土器なんざ生まれてない。

関連項目[編集]