架空戦記

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架空戦記(かくうせんき)は、実際の戦争の史実に関し、転換点となりうる重大事件等が別の展開をし、違う結果を導いていたらどうなるだろうかというif的発想、ないしは実際に存在しない戦争を過去現在未来のいずれかの時期、あるいは別の異世界に存在したと仮定し、その様子を描こうという試みに基づいて書かれたフィクション(多くは空想科学―すなわちSFなどを兼ねる)作品のことを指す総称語である。空想戦記とか妄想戦記と呼ぶこともある。

架空戦記の描かれる背景[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「架空戦記」の項目を執筆しています。

このような架空戦記作品は、日本では明治の段階で既に現れており、現在では中国韓国アメリカなど世界中の各国で、日本のそれと同じような作品が発表されていることが判明している。その形態は小説に限らず、アニメ漫画映画ゲームなど多様に渡っている。

架空戦記がこれだけたくさん描かれている背景には、当然それだけの需要が存在する。架空戦記もののシリーズは、概ね以下のように分類される。

思考実験[編集]

純粋に歴史的事件にロマンを求め、「・・・となっていたらどうだったであろうか」、「・・・で戦局を変えることは出来るだろうか」など、よく書くなら思考実験の面白さ―知的衝撃(センスオブワンダー)を追及した小説群である。

悪く書くとすれば、歴史学者のなかにおいて、自己の願望に合わせて歴史を解釈しようとする「未練学派」と呼ばれる人たちが書いた小説だろう(檜山良昭は京大院時代に指導教官と対立し、「歴史にIFがないとは学者馬鹿の寝言」と記している)。

僅かな近代兵器により、日本の戦国時代を塗り替えることを画策した『戦国自衛隊』(半村良)、記憶を持ったまま過去に転生した男の活動が歴史を塗り替える『リプレイ』(ケン・グリムウッド)、過去に移動した自衛隊艦が太平洋戦争を塗り替える『ジパング』(かわぐちかいじ)などが該当するといえる。

これらの作品の中には、その衝撃性が強いことなどから多くの支持を得、メディアミックス展開されるものもいくらか存在する。

ただどう好意的に解釈しようが、架空戦記の論理論法は破綻している。いうなれば、

「オレの顔のこことここをこう整形していればいまより男前になっていたはずだから、高校時代にもっとモテていたはずだろう。 ではどれぐらいモテていたかを、いまからシミュレーションしてみよう」

という程度のものである。

「どれぐらいモテたか」というシミュレーション自体は、なにも間違えていないのだろう。

しかし大前提から、「顔がいい=モテると決まっている」のはおかしい。

実際問題「顔が多少悪くても、他の要素でモテている」「顔はいいのに、他の要素でモテない」男性が多々存在しているのは明白なのだ。

この初期設定には「女性は男性の顔しか見ていない」という短絡的、蔑視的要素を孕んでいるのだが、そんな考えでは顔がよくてもモテるはずなどない。

つまり「このシミュレーションは正しいのか?」という問題ではなく、「このシミュレーションを、「シミュレーションと呼ぶ価値があるのか?」「このシミュレーションはすべきなのか、否か」という問題を先に考えねばならない」、ということなのである。

「シミュレーションなのか、否か」「すべきなのか、否か」という部分を飛ばしたまま、「このシミュレーションは正しい、間違えている」と評価するのは論点がズレているのだが、架空戦記を読んでいる人間ほど気付いていない。

いわば「シミュレーションが正しいか、否か」は戦術的な問題。「シミュレーションなのか、否か」「すべきなのか、否か」は戦略的な問題なのだ。たとえ前者としてどれだけ正しくとも、後者的な意味で正しいとは言い切れまい。

「そりゃ顔が良かったら、現実よりモテるに決まっているよね」で止めておくのが、まともな神経をした人間というもの。深く考えれば、モテない自分が余計に情けなくなるだけなのだから。

また想像力が豊かな作家ならば「顔が多少悪くても、他の要素でモテている男性」「顔はいいのに、他の要素でモテない男性」をモデルにしたほうが、「どれだけモテたかのシミュレーション」を書くよりも作品として魅力的なはずである。

結局前記のようなシミュレーションを大真面目に文章化できる男性は、顔も他の要素も悪くてモテないのだろうなぁ。

モテない人間の僻み節、恨み節を詳しく細かく書かれようが、共感できるのはやはり同様にモテない人間だけなんだね。

願望や妄想[編集]

自分の住む国にとって屈辱的な事件を、自分の国にとって都合よい様に塗り替えるなど、愛国心や嫌悪心に基づいた願望や妄想を多く取り込んだ作品も、架空戦記ものでは描かれることが多い。

この場合、敵国は、日本の作品ならば太平洋戦争の相手国であった欧米諸国や勢力を昨今増している中国。韓国ならば日韓併合への屈辱心に基づき日本。アメリカならばバブル経済期の屈辱からか日本、それにソ連に代わってアメリカの脅威国となりつつある中国となる事が多い。

これらの作品群は、その願望心や妄想が満たされれば十分であるため、作品の科学的考証やつじつま合わせなどが無視されている事は、日常茶飯事としてある。

たとえば韓国の作品では、日本は何らかの理由を付けて大体の場合、再び韓国に攻めてくることになっているし、日本は将来沈没することが「確定したこと」として暗黙の了解化している。

またどういう訳か、日本の作品においては太平洋戦争の同盟国だったドイツと同盟を破棄し戦う、という展開が見受けられる。さすがにヒトラーと友達では具合が悪い、という、これまた都合のよい展開である。

架空戦記とは、正当な歴史に対する「偽史」という位置付けになるといえよう。これについては

・呉市海事歴史博物館(通称大和ミュージアム)館長戸高一成がかつてオカルトライターであり、「ムー」(学研)編集顧問でオカルト書籍専門出版社で、80年代オカルトブームの黒幕と称された八幡書店社長武田崇元(本名武田洋一)と親交が長く、超古代史研究家木村鷹太郎の著作3冊の解説を行っている

・八幡書店にはオウムの麻原彰晃、偽史として名高い「東日流外三郡誌」を執筆した和田喜八郎などが出入りしていた。また武田は、偽史を展開するため、コミックなどへのメディアミックス戦略を重視していた

・武田が編集していたオカルト雑誌「地球ロマン」の熱心な愛読者が荒巻義雄

・「地球ロマン」休刊後に武田が出したオカルト雑誌「迷宮」に、檜山良昭が寄稿。また戸高が連載する予告が載っていた(連載が実現する前に休刊)

・戸高は、「日向仁」名義でベストセラーズから架空戦記を執筆している

・荒巻と戸高は、武田を通じて知り合っていた可能性大(「紺碧の艦隊」に登場する「日向」は戸高がモデルらしい)

・戸高が雇われ社長を務めていた今日の話題社は、八幡書店に吸収合併されている

・ベストセラーズからは、超古代史研究家である佐治芳彦も架空戦記を刊行している

・学研、コスミック出版(元大陸書房=武田の著書も多数)はオカルト本を数多く出しており、他の新書ノベルズレーベルからも伝奇アクションを刊行している。 伝奇アクションが多く書かれたのは80年代中期からで、ちょうどSFブームが沈静化し、冬の時代を迎えていた時期だった

・武田の友人で、ムー立ち上げに一役買ったのがSFマガジン元編集長、南山宏=森優。彼の弟が架空戦記を執筆している森詠

・ムー82年12月号に戸高が寄稿(翌83年3月に八幡書店から刊行される書籍のパブリシティ記事を担当)

・翌83年からのムー(3代目)編集長が、学研で架空戦記レーベル刊行した際の総括編集長太田雅男(麻原が85年10月号に寄稿した際もムー編集長)

・荒巻義雄が「要塞シリーズ」、「艦隊シリーズ」で用いた「転生」という概念=読者参加企画の原型は、ムーで用いられ、オウムなどオカルト団体の勧誘に利用されたことで問題となった戦士症候群と酷似

・荒巻義雄の「帝国の光」(幻冬舎)に用いられている偽史「ホツマツタエ」は八幡書店から解読書が刊行され、徳間書店からは佐治の著作による解説書も出されている(徳間、幻冬舎で荒巻義雄の担当編集者だった芝田暁(現朝日新聞出版販売マネージャー)の父親は、マルクス経済学者で共産党50年党員の芝田進午)

・荒巻が「紺碧の艦隊」で用いた参考資料は、歴史修正学会という米極右団体の刊行したもの。同名の日本の団体は、武田とも親交がある陰謀論者、太田龍(故人)が主宰していた

・荒巻、佐治、柘植久慶はいわゆる「真珠湾攻撃=ルーズベルト陰謀論」の支持者、ビリーバーと思われる

・戸高(オカルトに関与した過去は封殺。大和ミュージアム展示物の修復費水増し、史料調査室での資料無断刊行、私物化、破棄などの噂もある)、柘植(「グリーンベレー在籍」としてデビューしたが、三島瑞穂から在籍記録がないことを指摘されると、「特殊部隊在籍」と経歴が変わった)、馬場祥弘(著作権ゴロとの悪評)、赤城(大木)毅(私費留学を国費留学と偽る)、若桜木虔(悪評多数)など、架空戦記に携わる作家には経歴が怪しい人物が多数

・「一見荒唐無稽な物語で読者を引きつけておいて、正史が誤っている」ように伝えるのは、「ムー」などで武田が行っていた手法 架空戦記も同じ手法を用いれば、壮快さを求めて読んだ読者の潜在的心理に、正史の間違い=偽史を植え付けることは可能である

など架空戦記と偽史人脈との関係、偽史との相関性が指摘されている。

「未練学派」、「偽史」、「陰謀論」、「胡散臭い作家たち」という4カードに「80年代オカルトブームの黒幕」というジョーカーが揃っているのだから、とても「架空戦記は安全」とは言い切れまい。

こうなると「架空戦記とはオカルト小説、伝奇アクションの一変種」という見方も可能だろう。「読者を楽しませるのが目的の小説」ではなく、「読者をミスリーディングすることが真の目的で、楽しませるのは手段に過ぎなかった小説」ということだ。

また旧今日の話題社が刊行していた書籍が復刻されると、原稿の契約形態によっては、現在の八幡書店に金銭が回っている可能性もある(反社会的組織に近い出版社へ資金が流れている)。

もしこれらの考察が正しいと仮定すれば、問題は架空戦記側だけではなく、戦史研究家などの責任も大きい。

架空戦記に批判的な言説を書いていたはずの某ジャーナリストは、昵懇の仲である戸高が架空戦記に関与していたことは意図的に隠し、追求しなかったばかりか、戸高から仕事を回してもらっていたことを指摘されるとキレまくったという。

「事実を知っていて口をつぐんでいた」のなら正しい歴史について語る資格などなく、「事実に気付かなかった」のなら研究家としての資質に問題がある。

戦史研究家がだらしないから架空戦記を生み出したようなもので、戦史研究家たちに架空戦記であれ、史実の日本軍の組織的欠陥を馬鹿にする資格はあるまい(なお反オカルト的な立場で、荒巻や架空戦記を嘲笑していたはずのと学会には、横山信義が本名の横山信太郎名義で参加している。ちなみに横山の筆名の名付け親は荒巻義雄だが、「信義も道義もない」のだろう)。

対照的に歴史、イデオロギー以外にももっと単純な動機、つまり「ボクのかんがえたさいきょうへいきをだいかつやくさせたい!」という物もある。作者の無限の妄想力を礎に紡ぎ出されたこれらの超兵器は、技術力的及び工業力的背景を豪快にすっとばし、スティーブン・セガールの如き「無双」振りで敵を殲滅する。オリジナルだけでなく作者の思い入れのある兵器に大活躍させるケースも多い。その代表格「大和」については後述する。

また、現場(から上へ昇進できない)ペーペーの将兵や、軍中央のエリートでも非主流でハブられてる冷や飯食いが、天性の才能と人望だけで(つまり面倒くさい努力も人気取りも根回しもなしで)、作戦案を出せば100%採用、作戦を立てれば100%成功、作戦なしのぶっつけでも100%勝利、偉いさんからは個人的にひいきされ、同僚からは人気者、女性将兵とはハーレム状態という、別な意味でちょっとありえない願望充足も目立つ。

根本的な矛盾[編集]

・架空戦記とは一般大衆向けの荒唐無稽な小説ではなく、史実に基づいたシミュレーション(がベースにある小説)なのだ(執筆する作家の知識、洞察力は専門家に匹敵するから間違えていないし、読者にも知識と想像力を持ち合わせる必要がある)

・架空戦記とは一般大衆向けの荒唐無稽な小説であり、必ずしも史実に基づく必要はなく、シミュレーションとして多少間違えていて(シミュレーションではなくて)も構わない(作家は専門家ではないのだから間違えても許されるし、読者には知識も想像力も不要である)

この2つは根本的に矛盾しているのだが、架空戦記の作品世界に入るには深く考えてはならない。

TPOをわきまえて「一般大衆向けの小説ではない=シミュレーションである」、「一般大衆向けの小説である=シミュレーションではない」を都合良く使い分けることができなければならないのだ。

実際問題として、書店の棚に並ぶ架空戦記は「シミュレーション小説家の書いたシミュレーション小説」であるはずなのに、タイトルの隣に書かれているのは「シミュレーション」である。こうした矛盾を、作者(作家、軍事専門家)も編集者も読者も「見なかったことにしよう」とばかり無視している。

「一般大衆向けの荒唐無稽な小説」と「専門知識を必要とする読者向けの正確なシミュレーション(に基づいた小説)」という「矛楯する戦略」を掲げているのだから、ジャンルとして成立するほうがおかしいのだ。

架空戦記における「ゲームのルール」など、そもそも存在しなかったのである。

別の言葉に置き換えるなら、架空戦記とは「作品の内部における御都合主義とは別に、外部にも御都合主義が存在する小説」ということだ。

作者、編集者、読者の都合に応じて「荒唐無稽な小説」と「正確なシミュレーション(に基づいた小説)」と使い分けられてしまう。娯楽小説だと思って読んでいたら「シミュレーション」、「シミュレーション」だと思って読んでいると「娯楽小説」と変わることができるのだから、まともな人は落ち着いて読めないのである。

前述したジャーナリストをはじめ、架空戦記を「荒唐無稽な娯楽小説」と批判する人も多いが、それはそれで的外れだろう。「荒唐無稽な娯楽小説」自体が悪いのであれば、他の小説も問題にしなければなるまい。

むしろ「荒唐無稽な娯楽小説」を「正確なシミュレーション」と偽り、「荒唐無稽な娯楽小説を書いている作家」を「専門家に匹敵する能力を持つ作家」と不当な上げ底していることのほうが大きな問題であることに、意外と批判している人も気付いていなかったりする。

結局のところ、架空戦記の奥底には様々な「怨念」が流れている。

もちろん「普通の小説も「怨念」によって書かれたもの」といってしまえばそれまでだが、「普通の作家になれなかった作家たち」が「オレたちは荒唐無稽な小説を書く普通の作家じゃないんだ」と、無理に他の作家たちと差異化を図ろうとしていただけなのだ。

しかし如何せん彼ら架空戦記作家が「普通の作家になれなかった」のは、文章力でも知識量でもなく、「もっと他の部分」が劣っていたからに過ぎない。

「普通の作家」は同業者と差異化を図る必要もなければ、「シミュレーションができる」=他業種である専門家に匹敵する能力があるとも口にしない。

そういうことを口にすれば同業者=他の作家にも、他業者=専門家にも、そして双方の読者に失礼であることぐらいわかっている。

「少しでも完成度の高い小説を書く」のが「普通の作家の創作姿勢」であり、「他者の職域は犯さない=人の嫌がることはしない」のが「普通の人間」というものだ。

もし架空戦記作家が、架空戦記(を書いている自分)の地位を高めたいのであれば、より良い作品を書くことはもちろん、他の作家や専門家の顔を上手く立てながら、作品と自分を認めてもらう「戦略」をとっただろう(それこそ「もし」まともな作家、専門家が架空戦記に参入していれば、他の作家、専門家との共存共栄を図っていたはずだし、たとえブームは来なくとも、今日のような無残な凋落もなかったはずである)。

ところが架空戦記作家たちは自分の作品の価値を高める努力はせず、他の作家、専門家の地位を貶めることで自分と作品を高めていこうとする「戦略」なのだ(「相手はそのままだが、なぜか日本だけ超兵器を持っていた」という作品の「戦略」と相似している)。

これでは他の作家も専門家も、彼らの読者たちも不快感しか抱かないのだが、架空戦記の作家たちはその程度の人間の心理、感情も理解できないらしい。

また「普通の作家、専門家」ならば、「荒唐無稽な一般大衆向けの小説」と「専門知識を必要とする読者向けのシミュレーション(に基づいた小説)」が並立できないことぐらい理解しているからこそ、「並立できないものを読者に提供するのは、読んでくれる読者に対して失礼だ(もし読者が小説とシミュレーションを誤解しても、自分には責任がとれない)」という認識がある。

「私は(小説かシミュレーションの)どちらかを一生懸命書きますが、もう一方はできません」と表明することで、自分が負うべき責任と読者の負うべき責任を明確に区分し、自分と読者を守ろうとする。これが「普通の作家、専門家の戦略=仕事に臨む姿勢」というものだ。

ところが架空戦記の作家たちは、小説とシミュレーションとの明確な区分をつけようとはしない。口先では「両方できます、しています」といいながら、実際は両方できないし、することなど不可能なのは前述通りだ。

そのくせ「読者が間違えれば自己責任、自分の責任ではない」とでも考えているのか、やはり「普通の作家、専門家」とは異なる認識なのだろう。

いうなれば架空戦記作家(たち)は「間違えても許される=作家の権利」、「正確である=専門家の権利」はいずれも欲しいが、どちらの責任、義務を果たす気はない。端的に述べてしまえば、作品に対する愛情も自分の仕事に対する責任感も存在しないということだ。

つまり「シミュレーションができる、できない」「シミュレーションが正確、不正確」「歴史や軍事についての知識がある、ない」という問題以前に、高度の職業的良心、倫理観、責任感を持つ作家、専門家たちは「シミュレーション小説という矛盾した代物などとてもできません、書けません。「書け」というなら、どちらか一方にして下さい」と断言せねばならない。

反対にそういう意識のない作家、専門家たちほど簡単に「できます、書けます」と口にしたがるということなのである。

結局架空戦記作家とは「歴史のIFについて考える豊かな想像力を持つ作家、専門家」などではなく、「人並みの想像力、職業人としての意識など持ち合わせないくせ、自分を高く売りたい無神経で怠惰な作家、専門家」に過ぎなかったと。

いうなれば「セルフプロデュース戦略を間違えている作家、専門家」であり、「作家、専門家になってはならなかった人たち」だからこそ、「普通の作家、専門家にはなれなかった」のだ。

そんな5流作家、5流専門家たちほど架空戦記に集まったのだから、大衆向けの小説として面白くなければ、シミュレーションとしては専門家は見向きもしない、どっちつかずの代物しか生まれなくても当然だろう。

そんな彼らの真の狙いとは、「どっちつかずの代物」を大量に刊行して既成事実をつくることで、1流の作家、1流の専門家たちを追い落とし、自分たちがその座につこうと画策していた。所詮架空戦記=作品とは自分が成り上がるための道具に過ぎず、作品への愛情すらないのだから、良質なものなどできるはずもないのである。

「いい作品を書こうとして失敗した」のならまだ救いもあるし、改善すれば良くなる可能性もあるので、批判するのはよろしくないだろう。

だが架空戦記とは「よい作品などできるはずがない」構造(単純な批判をする人は、ここにも気付いていない)なのだから、救いもなければ改善の余地もなく、批判すら面倒なのだ。

また職業的良心、倫理観、責任感を持つ編集者なら、作家がおかしな言動をすれば指導するはずだ。おかしな言動を見逃すばかりか、そんな作家たちを探して仕事を依頼する(まともな作家、専門家ほど依頼されない)し、著者紹介に「専門家に匹敵する能力」などと平気で書くのだから、架空戦記の担当編集者の資質にも多大な問題があるのではないか?(架空戦記を刊行していた出版社ほど倒産する率が高いようだが)

そして普通の神経をした読者なら、架空戦記を読めば作家たちの言動に引っかかり、違和感を覚えるはずだ。

しかし架空戦記を楽しめる読者たちも作家、編集者たちと同じで、「自分を高める」ための地道な努力をしようとしはない。

そのくせ「俺(たち)は戦略を理解できるエリート」という優越感に浸りたい彼らは、架空戦記を読むことで他のジャンルの作家や専門家たちを見下せることに快感を覚えているのだろう。

こうして問題のある作家、編集者の仕掛けるおだてにひっかかり、簡単に同調してしまう(これは武田氏が用いた、オカルトへ勧誘する手法そのもの)。

いうなれば架空戦記の作家、編集者が読者に仕掛けていた「戦略」も、自分たちや読者が他の作家や専門家、その読者に対して仕掛けた手と同じだった。作家として自分たちを高めるのではなく、読者のレベルを下げればいい(高いレベルの読者など不要)という考えなのだから、作家たちは読者に合わせた質の低い作品を書きながらも、内心では小馬鹿にしていたわけだ。

そうした作家の狙いを見抜けなかった読者ほど、架空戦記に喜んでいた(自分が他者に仕掛けて喜んでいた手を、実は自分も食らっていた)のである。

・ 「娯楽小説」と「シミュレーション」という、相反する要素をひとつの作品で行おうとする

・ 都合に応じて「娯楽小説」と「シミュレーション」とを使い分け。他の作家、専門家、他の読者を攻撃することで悦に入り、優越感に浸る

・ 「相反する要素をひとつの作品で行おう」としながら、双方の責任は負おうとはせず、他者に丸投げしてしまう

普通の小説とは異なる構造をした、架空戦記は「つまらない」のではなく、「面白くならない→関係する人たちが、面白くする余地を潰していった」というべきだろう。

能力の高い(文章力、知識量はもちろんだが、怨念など持ち合わしていない)作家、専門家、編集者、読者ほど構造的な矛盾に直面し、苦悩し、改善しようと試みようとしたが、そういう人たちほど排除されるか、自ら去るかの二択を迫られた。矛盾など気にもとめなかった作家、専門家、編集者、読者たちが残ったのだから、まともに評価される作品ができなくとも至極当然なのだ。

ともあれ「普通の作家、専門家になれなかった5流作家、専門家の怨念」と、能力の不足した編集者の怨念、オタク系読者の「俺たちは優秀なのに、社会から受け入れられないという怨念」、さらに「日本(人)はもっと優れた国(国民)だ」という「国家(民族)的怨念」が相互に共鳴し、願望を充足し合っていた。さらに戦後半世紀とバブル最盛期から崩壊とが重なった90年代初期=開戦50年後の社会情勢が、架空戦記ブームの根源だったのである。

そのような情況のなか、戸高氏をはじめとする偽史と関係する人たちが「戦史の書き換え」を目論み、初期の架空戦記を執筆していた荒巻、檜山、佐治、柘植といった作家たちを用いたのだろう。

そして「紺碧、旭日」がなまじ売れてしまい、他社も慌てて参入して作家たちを動員したが、そのような背景に気付くだけの洞察力を持つ編集者、作家などいるはずもなかったのである。

こうして今日に至るまで無惨なまでの数の架空戦記が刊行され、大半は読者の手に渡ることもなく(「返品率90%」を超えた作品もあるという)、よくてブックオフ(スリップ付きの書籍さえ目につく)か特価本(1年前に刊行されたものが1冊84円、7冊セット400円、20冊セットで600円)扱い、悪くて裁断処分になっていった。

作家も編集者も失敗から何も学ばず、特定の欺しやすい読者を相手にすることで満足して新規市場の開拓を怠り、新たな作風、機軸を取り入れることもなかった(初版部数20000部→3000部)。

平素「大逆転! 大戦略! 大勝利!」「軍事知識がないのは平和ボケ」「俺たちは人並み以上の想像力がある」「理解できない人間は頭が悪い」と威勢のいい言葉を並べていた人たちは、誰1人としてブームが衰退に向かうまでに危機を察知し、局面を打開する手を打とうとはしなかったのだ。

そもそも自分の「作家としての戦略」すら間違えていた作家たちであり、そんな作家たちを選んで仕事を依頼する(まともな作家を見つけられない)編集者。作家と編集者の意図を見抜けないくせ、人並み以上の優越感を誇示したい読者たちなのだから、局面を察知して打開策など見つけられなくても仕方あるまい。

こうした人たちほど「旧日本軍の首脳部は~」と口にしたがり、「作家」たちが「敗因を究明する」などとムックなどに書く(編集者も架空戦記も担当)のだから、情けないにもほどがある(日本の敗因を究明するより先に、テメエたちの小説が売れなくなった原因を究明しろよ)。

どうせ旧日本軍は、こういう無能な人間ほど中枢を占めていたんだろうさ。

とどのつまり、架空戦記とは「国家が敗戦、文化が衰退に至るまでのパロディ」をまさに地で行っているというべきなのだ。

無論、これを「よくできたパロディだ」といって楽しんでいる読者などいないだろうがね。

お遊び[編集]

上記のいずれにも該当せず、ただギャグパロディ的要素を強めて読者の関心を引こうとした作品も存在する。また上のいずれかに該当することはするが、ギャグ的要素が含まれている事例も見られる。詳しくは後述する。

なお、お遊びが過ぎた結果、「仮想戦記」を下回る低レベルなものに成り下がったものを「奇想戦記」と呼ぶ。 その他、右斜め下には「異想戦記」、左斜め下には「思想戦記」が配される。

架空戦記の未来[編集]

大きく3分化するように思われる。

1つは、徹底的にリアリティさを極めた「シミュレーション」化。政治的、歴史的、科学技術的にも厳密さを極め、専門家でさえ読むに耐えうるものとする。反対に人物描写など文学的要素、カタルシスやお遊び的な部分は極力排除する。

もう1つは政治的、歴史的、科学技術的リアリティはさほど厳密ではなく、カタルシスもないが、適度にお遊びは入れる。代わりに「架空の状況における人間心理」を中心に据えた、(SF的)文学化である。

上記2つを選択すれば高度なものはできるだろうが、現在の読者の大半はいなくなり、商業出版として成り立たなくなる可能性が高い。

残る1つはリアリティも文学的要素を完全に無視し、完全に娯楽に特化した「無国籍アクション」化である。

この手を選べば現在の読者も残る=商業出版としては大ゴケしないだろうが、まともな作家や専門家、大多数の読者は存在を無視し、読み捨て小説の域を脱することは永久にあるまい。

なによりこれでは史実を弄る必要もなくなり、「宇宙での艦隊決戦」、「架空の国家同士の戦い」でも構わなくなる。

ましてや「シミュレーション(小説)」という言葉など、まっとうな作家、編集者、読者なら恥ずかしくて使えない。

ただ提示したこの3パターンであれば、架空戦記というジャンルが未来に生き残ることも不可能ではないはずだ。

そのいずれかを選択できない人間が「いまのどっちつかずの架空戦記」に集い、他者に優越感を誇示したがるってことなんだよなあ。だから多くの人から共感を持たれることなく、オタク的に小さく群がり、内輪受けを脱することなく衰退してしまった。

それはそれで勝手だが、やはり架空戦記の作家、編集者、読者たちに、天下国家や歴史といった「大戦略」など論じる資格はないんだよな。

やっぱり「架空戦記がつまらない」のではなく、「つまらない人間が架空戦記に集まったから、つまらなくなった」って結論だね。

壮大な「大和」集合[編集]

スポイラー
スポイラー

警告:以下の文章にはネタバレ、いわゆるスポイラーが含まれています。これにより記事はより空気力学的に洗練され、その結果としてより高速で疾走できるようになります。

もしあなたが、猿の惑星は実は地球だったことや、生命宇宙そして万物についての究極の疑問の答えは42であることや、太陽の翼はアクエリオンそのものの事だったことや、竜騎将バランの正体は竜の騎士でダイの父親であることや、奇天烈大百科は最後、ママに汚い白紙のノートと勘違いされて捨てられることや、ブルースはロックマンの行方不明になった兄であることや、ボイサーはマクーによって監禁されていたことや、阿Qが処刑されることや、ウィキペディアアンサイクロペディアのパロディであることを知らないのであれば、充分注意して、救急箱を手放さないようにしてください。

架空戦記においては、現実に使用されたものだけでは展開を面白く出来ないので、様々な技術を用いて現実の兵器や航空機船舶を改造し、それを登場させることによって半ば強引にストーリーを構築している例がよくある。

その際、最も好まれる改造母体は戦艦大和」である。アニメの「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒットしたため、悲劇の艦と呼ばれる「大和」ならばどんな改造をしても構わないだろうと、いつしか架空戦記作家の間で妄想が暗黙了解と化したといわれ、結果としてすさまじい改造を施された「大和」が架空戦記には多々登場することになった。以下、主な事例を示す。

目の保養にもなる。大艦巨乳主義の象徴だ。
超戦艦「大和」
「超」をつけただけで変わるのだろうか?独活の大木がこれ以上大木になってどうする?

(注意)これは第二次大戦以降の大半の水上艦艇について言える事である。ガ島攻防戦などで大和型がもし30ノットの高速ならばと言う意見もあるが制空権の無いところに戦艦を突っ込ませるのがそもそもナンセンス。 第二次大戦においてはほぼ全ての水上艦艇が空母や輸送船を守るための護衛艦と化し、日米共に戦艦や重巡の主砲はほぼ遊んでいただけである。必要なのは対空火器と対潜装備であり、水上艦艇は戦艦が出る間もなく航空機が撃沈してくれる。大型艦の主砲は艦砲射撃と言う使い道があっただけであるが、それも航空機やモニター艦で充分代用が可能である。また、アイオワ級は汎用性が高いと言われるが対地艦砲射撃はともかくとして艦艇に対する砲撃の機会そのものがほとんど無かった。米海軍は大戦直前から大戦中にかけて戦艦10隻、大型巡洋艦2隻を竣工させており、基本的に艦砲射撃以外に使い道のない主砲は遊んでいただけで大和と大差は無い。(対空射撃が出来れば独活の大木でないと言うなら大和もマリアナ、レイテ、坊ノ岬沖で行なっている。命中精度の問題は大和に限った話では無い)戦後に竣工したデモイン型をはじめとする多数の重巡も同じで、航空機の活躍で水上艦艇同士の艦隊決戦など有り得ない中、使い道のない巨大な主砲と重厚な装甲を施したこれらはまさに独活の大木であった。そして、こんな他国の戦艦を貶めても大和の地位が高まるわけではないという現実を無視して必死に大和を擁護したがる自分には間違いなく「怨念」がある。ううう…。好きやねん。大和が好きやねん…。独活の大木とか言われると…「怨念」が…俺の中の「怨念」がああああ!!!!(涙)

超戦闘空母「大和」
戦艦空母大和
超弩級空母大和
まずは航空母艦化。3作目については後述する。
超弩級ミサイル戦艦「大和」
第二次世界大戦末期にドイツで開発されたミサイルを搭載。
イージス戦艦「大和」
現代の海上自衛隊に倣ったのかイージス艦に。
激闘・ジェット空母大和
空母に加えてジェット機を搭載。
超弩級原子力空母「大和」
原子力を用いるのは既に常識。
スーパー・ハイテク艦大和
ハイテクといえばかっこよく見えるだろう論。それにしてもどの辺がハイテクなのか気になる。
あれ?敵潜水艦ってでてきたっけ?
ターミネーター空母「大和」
ヒット作から名前をパクるのも通例。とりあえずターミネーターみたいにどこを打たれてもビクともしないのだろう。
サムライ戦艦「大和」
サムライのステレオタイプイメージを日本が逆輸入。とりあえず武士の用心棒だと考える。
特攻戦艦大和
神風を同じように妄想で戦艦に適用。でもオリジナルと変わらない気がする。
リアクティブ戦艦「大和」
リアクティブ・アーマーを何故か戦艦「大和」に搭載。そんな装置がどこから?
強襲戦艦「大和」
後部主砲をとっ払ってヘリや舟艇の格納庫を置き副砲の場所に対空ミサイルという比較的現実的な案…に見えるが実は沈んだフリをして艦籍抹消、同じく死んだことにして戸籍を捨てた非正規部隊の母艦となって「共和アメリカ」やソ連など共産陣営と陰で戦うというんだからもう無茶苦茶である。
超航空戦艦「大和」戦記
日本が1つだけ製造して失敗した航空戦艦を何故か活用。どんな戦艦なのか気になる。
時空戦闘艦「やまと」
超時空戦艦大和
タイムマシンでワープするくらいは最早恒例。しかし実際にあんなのがタイムスリップしたら偉いことに!!
時空特攻戦艦「大和」
時空を越えて特攻する大和。むしろ、行った先によっては速攻で落とされそうな気がする。乗組員は別の時代で死んだ事になるらしい。正直前のほうがましだ。
超時空原子力空母大和
要素をつなぎ合わせるのも恒例化(ネタ切れ?)。それにしてもタイムスリップ・原子力・艦載力兼用の戦艦は恐ろしい。
機動要塞大和
遂に艦であることすら忘れられる。もしかしてマクロス?
時空潜水空母「大和」
遂に潜水艦化。潜水艦の上タイムスリップし飛行機搭載。なんだか建造費が偉いことになりそうだ。
サブマリン戦艦空母「大和」
潜水艦と空母を同時搭載した「戦艦」。原型が偉いことになりそうだ。
陸上戦艦大和
キャタピラで地上を爆走する「大和」。既に戦艦ではなく巨大戦車では?という人も多い。
飛行戦艦「大和」出撃!
ロケットを搭載して遂には飛行。上記した某アニメでは宇宙へ飛んでいくぐらいだから、まだましな方だが。それにしても、あんな70000t近い巨体が空を飛んだら恐ろしいだろう。ゴリアテと比べるといささか。ちなみに、こーゆータイプの初登場は某アニメよりも早い。でも多分、轟天号には勝てないと思う。
ステルス戦闘空母「大和」
たとえ見つかってもなかったこと
クロネコ「大和」
お察しください
関連リンク:[1]

畝傍いろいろ[編集]

1886年に突如消失した巡洋艦である。消失した当時、様々な説が流行しておりそれらを元にして架空戦記が昭和の後期あたりから作られた。それがとてもとは言えないが破天荒で、北極に行ったり宇宙人に連れて行かれたり、バルチック艦隊に編入されていたりともうめちゃめちゃ。近年、海域の荒れように本艦の構造が耐えられなかったことが分かるが、今もなお架空戦記におけるカルトとして言われている。また、上記に挙げた代表例以外にも、二次元に飛ばされたまさか海戦後に波間を漂っていたゾロリ達を助けるというどこかパニック系のパターンも存在する。

パロディ満載の作品[編集]

架空戦記の中には、作者が意図したのとは別の理由で、世間の注目を集めるようになった作品も多々ある(トンデモ戦記と呼ばれる)が、上記のように作者がお遊び的に、架空戦記のシリアスさを和ませるかのようにパロディを多く取り入れ、それで世間から注目を集めるようになった作品も存在する。昨今の角川系の諸作品のヒット要因の一つがこれにあるといわれている位であるから、至極当然かも知れない。

その中でも、ファンの中で伝説視されている作品に、上述した「超弩級空母大和」がある。この作品は「空母」とあるように、日本が大艦巨砲主義に染まらず、戦艦の代替として航空母艦を多く建造したという前提で記されている作品であり、ストーリーの崩壊とか矛盾とかがあまり無く、作者の文章力もあるため、漫画化されるほど好評を博したといわれている。

だがこの作品、4巻「DEATHTRAP AND GENESIS」という独ソ戦(現実以上に新兵器のため戦局が広がっている)を描いたあたりを中心に、以下のような描写や台詞が存在するため、何故か架空戦記マニアだけではなくアニメファンからも注目されることになった。それゆえ、伝説となったのである。

1巻
  • 兵器開発に関わる将校の会話
「武人の汎用に耐えうるもの、というのが海軍の基本テーゼだからな」
大東亜共栄圏補完計画
2巻
  • 川西航空機の試作パイロットの台詞
「川西はいいねえ・・・・大日本帝国が生んだ産業基盤の優れた証だよ・・・・・・」
3巻
  • ビスマルク乗組員のデイター少佐の台詞
「低気圧「ボーグ」は、間もなく活動を緩め、天候は回復する」
4巻
  • ドイツが長距離爆撃用に開発した「ウラル爆撃機」。4機が製造されたが、その各機体の名称。
零号機、初号機、弐号機、参号機
  • 爆撃機の乗員
零号機(青)
機長 - 異様に美形で、無口な男性の『ブラウ』。冷たく女のような声を発す
副操縦士 - 基地司令。本名不明で暗号名は『ゼクスタント』(和名:六分儀)
初号機(紫)
機長 - 性格が気弱なため、第三帝国から後に逃げ出すことになる『ハウザー少佐』
弐号機(赤)
機長 - 栗色の髪で、青みがかかった灰色の目をしており、長髪を編んだ美人の『ハンナ・ライチュ』。フライトスーツに赤をあしらい、鼻っ柱が強くてわがまま
参号機(黒)
機長 - 言葉に地方の訛りが残る人物
電子戦士官 - 丸眼鏡をかけた人物
  • 初号機の機長と副操縦士同士の会話を、弐号機の機長が聞いたらという仮定においた同僚の噂話
「ハイナ・ライチュが聞いたら・・・軽蔑の表情とともに『Sind Sie die Dummkopfe?』(あんたら、バカ?)とでも、のたもうたことだろう」
6巻
  • 護衛空母「ボーグ」のロキュータス艦長の台詞
すなわち、全世界において9000名のボーグ・クルーが活動している事になる
「ジャップよ、抵抗は無意味だ」
  • 護衛空母「ボーグ」の参謀長の台詞
「ボーグに抵抗は無意味、でありますか?」 

なお、作者の三木原慧一はこれ以外の作品でもパロディを多用していることで有名である。例を下に述べる。

クリムゾン・バーニング

(通算)7巻「カナダ侵攻」

  • 中華民国軍の最新鋭戦車
「先行車三型(中華キャノン搭載型)」

別の意味で有名な架空戦記(2ch実況板アニメ特撮実況スレ荒らし)[編集]

  • 宇宙大戦
トランスフォーマーの戦いをデストロン側から描いた作品。全篇を通してトランスフォーマー以外のキャラクターも総出で参戦し大賑わいになる。後半ではメガストーム率いる機甲部隊がデストロンに反旗を翻したり新たな総司令官が生まれたりと大風呂敷を必要以上に広げている。
  • 第一次大戦
史実の世界大戦とは異なり、ケーキによる冤罪から発展したプリキュアVS世界枢軸国軍の激突を描いた作品。これにより,子どもがよく思う「アニメの能力は現実の能力を撃ち返す」という常識を覆した作品である。
  • 二次元大海戦
日本海海戦を基礎としており,米英ソ仏中の艦隊VSノイバウツォーイクの艦隊による5日間にわたる決戦を描いた作品。紺碧の艦隊を元にしており敵味方双方の視点で描かれる。序盤は数で圧倒するノイバウツォーイクのラムが張り出した木造軍艦が圧倒していたが,徐々に1900年代以降に建造されていた最新鋭戦艦を装備した米英ソが押し返していった。
  • 登場する艦艇

ノイバウツォーイク側

  • 改造帆船型戦艦×30
  • 旧式帆船×21
  • ガレー船×6
  • 砲艦×2
  • 特務艦×32

米英ソ仏中側

  • 戦艦アリゾナ・プリンスオブウェールズ・オクラホマ・レパルス・キングジョージⅤ・テネシー・ウェストヴァージニア・メリーランド・カリフォルニア・事間・禮間・オリョール
  • 駆逐艦ダウンズ・セレン・カッシン・ポーター・古按哨・天花哨・水哨
  • 空母ヨークタウン・アークロイヤル・エンターウライズ・ハーミズ・レキシントン
  • 潜水艦ガトー級×18
  • 特務艦×18
  • 1114/1121大戦
ヒーローの終末という仮題を持つ作品。2004年11月14日と21日に勃発した史上最大の戦い。ヒーローが主導権を握っていたのが当たり前の時代。そんな中、ロシアが11/07放映分のゾロリに気高くきれいなヒロインを見つけ大騒動。これにより次週までに日本ドイツイタリアオーストリアイギリスアメリカフランスロシアを中心とした枢軸国がオアフ島沖に陣取り翌週一戦を交えた。しかし,序盤で各国の主力艦は撃沈若しくは大破。終盤で何とか追い返せたものの被害のすごさは凄惨を極めた。

関連項目[編集]

  • ハンス・ウルリッヒ・ルーデル:架空戦記の登場人物。その戦果の荒唐無稽ぶりは現実にありえないものとしてしばしば批判の対象となる。
  • シモ・ヘイヘ:架空戦記の登場人物。その戦果の荒唐無稽ぶりは(ry
  • 舩坂弘:架空戦記の登場人物。銃弾を受けても受けても死なないその荒唐無稽なタフさは作者の「アニメやゲームの見すぎ」としてしばしば(ry
  • ニルス・カタヤイネン:架空戦記の登場人物。その武運はあまりにもご都合主義であるとして(ry
  • なろう系:願望や妄想全開でいくならミリタリー路線でいく必要はないとわかったので、ファンタジー系にシフトした作品群。ファンタジー系の方が一般受けするので、架空戦記より売れている。
  • アンサイクロペディアは嘘を書くところです。
  • 戦争の一覧
  • 妄想
  • 兵器


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