手袋を買いに

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手袋を買いに(てぶくろをかいに)は、新美南吉の童話。作者が一緒、狐が主役など、ごん狐と色々リンクしているが、認知度は雲泥の差である。

あらすじ[編集]

あるところに狐の母親と子供がいた。狐の子供は、雪を知らない、町の灯を星と勘違いするなど、とんでもない世間知らずであったが、人間の住む町に遊びに行ってみたいなどと言い出す。しかし、母親の狐は、大学生だったころ、悪友と一緒に呪術を駆使して人間の里から魚を盗もうとして人間に追いかけ回された過去があり、人間を怖がっていた。人間は危険な生き物だから、人里へ降りてはいけないと母親狐は子狐に警告する。だがあまりにも子狐が人間の町へ行きたい行きたいいうものだから、一人で行かせることにした。母親は、狐の呪術を使って、子狐の片手を人間の手へ変化させる。そして、子狐に、町へ降りたら、雑貨屋へ行って、扉を叩いて挨拶をして、そこから呪術で化かした人間の手だけを出して、この手に合う手袋が欲しいと言って、手袋を買いなさい、と命令し、銭を渡す。

しかし、魔力(MP)が足りなかったので、母親狐は子狐の片方の腕しか人間の腕に変化させることは出来なかった。子狐のもう片方の腕は、狐のままであった。そこで母親狐は、狐の腕のままの腕は決して出してはいけない、人間の腕に変化した腕だけを出しなさい、と、子狐に命令した。子狐は素直に母親の言うことを聞き、雑貨屋へ行き扉を叩き、掌に銭を乗せた手を出して、手袋を下さいと雑貨屋の主人に言う。ところが、この子狐は三歩歩くと忘れる鳥頭であったので、間違って人間に化けてない狐の手の方を出してしまった。

当然、雑貨屋の主人にはバレた。しかし、雑貨屋の主人は寛大な人間だったので、子狐の手に握られているのが本物の銭であることを確かめると、手袋を売ってあげた。その後、子狐は人間の街を散策し、民家の壁に耳を当てて盗み聞きをした。すると、人間の母親と子供が、自分達親子のように仲睦まじく生活している声が壁通しに聞こえてきた。

子狐はこれを聞いて、「人間は母親が思っているほど危険な存在じゃないじゃないか」と確信した。しかし、早く帰って来なさいと母親から厳命されていたので、それを素直に守り、山へ帰った。

帰宅後、子狐は母親狐に、「人間は全然危険な存在じゃないよ」と言った。しかし過去のトラウマがある母親狐は信じない。さてはこの子、人間に餌付けされたのではないかと不安になった。しかし口には出さず、へえそうなんだ、案外人間って優しいのかもねと返す。ここで物語は終わり、一応心の温まるハッピーエンドとなる。

ごん狐との関連性[編集]

この作品は作られた時期がごん狐と近く、また狐を主役にしていることから深い関連性があると言われている[要出典]が、ハッピーエンドとバッドエンドという点で明確な違いがある。認知度で考慮すると、この作品はごん狐と比べると遥かに認知度が低い。何故かというと、陰湿な日本人はバッドエンドが大好きだからである。

宇宙戦艦ヤマト新世紀エヴァンゲリオン魔法少女まどか☆マギカなど、オタク界隈で一世を風靡したアニメはどれもこれも押し並べてバッドエンド、もしくは鬱展開てんこ盛りの作品揃いである。それは童話の世界でも変わらず、現実味のないハッピーエンド(一応)の「手袋を買いに」よりは、生徒達も、教師も、バッドエンドの「ごん狐」の方に感情移入してしまう。それが、現代における認知度の差の原因を成している。

発想が斬新過ぎるのも、認知度の低い理由といえるかもしれない。冒頭に子狐が言う「お母ちゃん、お手手がちんちんする」は、1993年に発表された松浦理英子の長編小説『親指Pの修業時代』に先んじているし、さらには前述したように、母狐は呪術をつかってそのお手手の片方だけを人間のそれに変えるのである。その寓意性と光景そのもののおぞましさに戦慄した小学生は数多い。

何故手袋を買いに行かせたのか[編集]

ところでなぜ母親の狐は手袋を買いに行かせたのか、序盤、子狐が寒さで手を霜焼けしてしまう描写があるので、霜焼けから肌を守るために手袋を買いに行かせたと考えられる。

しかし、同時に母親は、子狐の手を妖術を使って人間の手に片方だけだが変化させている。毛皮で覆われた狐の手を、毛皮で覆われていない人間の手に変えてしまえば、ますます霜焼けが酷くなるのではないか。そこまで母親狐は考えなかったようだ。

母親狐は、人間に恐怖を抱いている。そのため、自分は人里へ降りてゆかなかったが、どうしても人里へ行きたいという子供の願いを聞き入れ、子供を一匹で人間の町へ行かせる。これはあまりにも危険な行為である。5歳児が「歌舞伎町で夜遊びしたい」とおねだりしたら、その子が一人で深夜に行くことを容認する母親が、どこにいるであろうか。この子狐は純粋で馬鹿であることが作中の描写により示唆されているが、母親も大概な頭脳の持ち主だったようだ。

母親狐が、かつて人間に追いかけ回されたのは、友達と一緒に彼らの魚を盗んだという窃盗罪が原因である。盗みを働いておきながら、人間はとっても危険な生き物だなどと我が子に吹き込むのは、盗人猛々しいと言わざるを得ない。しかし、自分の偏見を子供に吹き込む親は、狐よりむしろ人間の方に多く、人間の親が我が子に吹き込む偏見は、狐よりも遥かに悪質である。「手袋を買いに」の母親狐が子供に吹き込む偏見など、可愛らしい方である。