市谷

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「私の愛した三島さんの霊は今も市ヶ谷に・・・・」
市谷 について、美輪明宏
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市谷(いちがや)とは、東京都新宿区の地名。新宿区と千代田区にまたがる区域にJR総武線と、東京地下鉄有楽町線南北線と、都営地下鉄新宿線の駅がある。市ヶ谷駐屯地市ケ谷駅のように市ヶ谷市ケ谷とも書く。

日本最高の軍事都市[編集]

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市谷には言わずと知れた市ヶ谷駐屯地がある。防衛省本省(内部部局)のみならず、情報本部・技術研究本部・装備施設本部・統合幕僚監部・中央指揮所・陸上幕僚監部・海上幕僚監部・航空幕僚監部が所在している、日本国防衛の中枢である。

そのため上空には軍用機がニアミスすれすれで飛び交い、空襲を想定した訓練用のサイレンがうーうー鳴り響き、閃光を放つ照明弾が打ち上げられ、見たこともない七色のレーザー光線が空を照らし出している。市ヶ谷駐屯地半径5キロ以内は、目に見えないバリアが貼られているとも言われる。しかもそのバリアが「山田洋行」の調達品ではないかと噂されているが、現時点では本当かどうかはよくわかっていない。それはともかく市谷はまさに「常在戦場」となのである。周辺の歩道や車道を、自衛隊関係者が怒涛の勢いで隊列を組み、見えない敵に向かうように突進していく姿は、映画のロケでなければここでしか見ることはできないであろう。

市谷は「日本最高の軍事都市」であるのみならず「日本最高の軍事オタク都市」でもある。「歴史群像」「軍事研究」「JーWing」「丸」「PANZER」「グランドパワー」などコアな雑誌を小脇に抱え、思い思いの軍事コスチュームを身に纏った軍事オタクが、瞳に光のないシジミのような目をして、自衛隊員の後を追っかける様子がナマで見られるのもこの市谷ならではの光景であろう。

自衛隊にくっついて移動するだけならいい。連中は名うてのコレクターたちである。駐屯地にある備品を少々拝借することは、軍オタにとっては窃盗でもなく、犯罪でもなく、愛ゆえの行為なのであり、許されるべき行いだと、迷惑なことだが、彼らは強く信じて疑わない。自衛隊員の身につけている帽子・衣服・靴・装備している武器etc・・・すべて軍オタにとっては垂涎の的である。隊員がちょっとでも油断すると上から下までパンツまでもをひん剥いて、そのまま自分のコレクションに入れて何とも思わない連中がいるのだから気が気ではない。中には軍オタのフリをした正真正銘のホモもそれとなく潜伏しているようだから、隊員諸氏はオタクだと思って気を抜かないように。気がついたら「アッー!」では済まされない。

もともと軍事オタクはアメ横中田商店で売られているアーミーファッションを装備して出歩くのがセオリーであったが、最近はアキバ萌え系のオタクそのものにしか見えない者も増えてきているようだ。 見かけはアキバ系オタクでも、軍事知識をいたずらに豊富に持っているというギャップが市谷の自衛隊員を戸惑わせている。こうした世界に慣れていない自衛隊員からすると、どう見てもおっさんなのに、フリルのついた戦闘美少女のコスプレ衣装をヒラヒラさせながら、妖しい世界に陶酔しているみたいなまなざしで、トレーニング中の自衛隊員にウィンクするのには抵抗があるようである。その格好のまま隊員をしつこく追い掛け回すことも報告されており。こうした軍オタの執念深さに、市ヶ谷駐屯地関係者はかなり迷惑しているようである。

軍事オタクが大臣となって[編集]

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昨今、軍事オタクを一方的にさげすむ風潮があるようだが、軍事オタクもまんざら捨てたものではない。2007年11月現在、防衛大臣となっている石破茂は日本初の「軍事オタク大臣」として知られているが、いじめられっ子であった幼少時には、目つきの悪さや甲高いオタク喋りを馬鹿にされ、市ヶ谷駐屯地のフェンスから一人さびしく自衛隊員たちをながめて時を過ごしていたと言う。こうした悲しい思いから脱却すべく、石破は自衛隊員のひたむきさに自らの指針を見出して孤独を癒し、「オタクがいじめっ子を倒して天下を取る」という誓いを胸に、臥薪嘗胆の気持ちで人生を切り開いてきたらしい。幸いにも紆余曲折ありつつも、防衛大臣への昇進がかなうことになったのである。防衛大臣になれなければ結構辛い人生であったのではないかと推察するに余りある。

しかし防衛大臣となった喜びの余り、調子こいて軍オタとしての本性がむき出しになりすぎてはいないか、という厳しい意見も存在している。防衛大臣としての執務室にはこうした軍事コレクションが山と積まれ、自衛隊隊員のあられもない戦闘シーンのポスターが貼られまくっている。そして彼の姿が室内に見えないときはプラモデルで埋まっているか、プラモ用の接着剤でラリっているとも言われる。そして忙しい本業の合間を縫って2ちゃんねる軍事板コテハンで鋭いツッコミの書き込みをし続けているらしい。石破の前任者である額賀福志郎久間章生ましてや小池百合子、そして防衛事務次官守屋武昌らはこうした軍オタ石破の執念を知ることもないであろう。そうした意味で石破の大臣就任は「軍オタでも天下が取れる」先例を作ったものとして高く評価され、一躍石破は日本中の軍オタの憧れの的になり、生意気盛りの中学生にすら、「将来は石破大臣みたいに偉くなりたいです」とまで言われるようになっている。市ヶ谷では石破大臣をひと目見ようと、門前市なすほどの盛況だそうである。

ちなみに市ヶ谷駐屯地で往年の人気グループ・キャンディーズの歌が流れていることがあるが、そのときは大体石破がご機嫌になって鼻歌を口ずさんでいるらしい。さすがはオタク気質で凝り性な石破である。例えば彼の好きなキャンディーズに「優しい悪魔」という歌があるが、この歌を歌うために、石破は尻尾までついた悪魔のコスプレを衣装をまとい、小悪魔さながらの笑みを浮かべて、執務室で控えているとも言われており、ゆくゆくは自衛隊音楽隊で、君が代に続けてキャンディーズの歌をメドレーで演奏するのが夢だそうである。

なお石破が就任する以前、「防衛省の天皇」と呼ばれていた守屋事務次官は、長年こうした職場にいながら、軍オタ特有の機能美や数量データに対する執着がなく、軍オタ的センスに欠けていたと言われている。特に山田洋行の調達した様々な品物は、自衛隊軍オタ派からは非常に評判が悪く、2ちゃんねるの軍事板でも「山田洋行ってどうよ」という名物スレッドが立って、おそらくは現役自衛官(もしくは石破茂本人)が延々と守屋と山田の悪口を書き連ねていたことからも、その当時の空気を知ることが出来ようか。このたび石破が大臣に就任して以来、続々とこうしたスキャンダルが暴かれることになったのも、石破に親近感を覚える軍オタ派がクーデタを起こしたからだと噂されている。ちなみに現時点で防衛省で使われている多くの備品は山田洋行から提供されたものであり、こうした備品の裏側には「山田」のシールが貼ってあるらしい。

「憂国忌」をめぐって[編集]

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今でこそ防衛省のアイドルとなった客寄せパンダ石破大臣だが、ここ市谷では、軍オタの神・石破を越える超弩級の大物スターの存在を忘れてはならない。1970年の痛ましい死を迎えながら、今も多くの人々の心に燦然と輝く作家・三島由紀夫が、その人である。石破大臣は密かに三島のことを羨み、嫉妬していると言われている。では三島が市ヶ谷で何をしたのか、確認しておこう。

昭和45年(1970年)11月25日、ノーベル文学賞候補にも推された三島由紀夫と、彼の率いる楯の会の有志が、陸上自衛隊東部方面総監部(現在の市ヶ谷駐屯地)に乗り込み、統監を人質にとり、憲法改正を唱えるクーデター未遂事件が発生した。三島の主張は大勢が受け入れるところとならず、三島は割腹自殺して果てた。この三島事件は市谷の地で生じたものである。

三島が死してかれこれ30余年が経過しているが、未だにその人気は衰えることを知らず、かのアンサイクロペディアことオスカー・ワイルドが評するように、「日本で私よりもトリッキーな人間は彼しかいない」と讃えられ、ボディービルディングで鍛え上げたその「スパイシーな肉体」は、文学青年のみならず、ボディービルダー切腹マニアホモの皆さん、右翼の諸氏に絶大な影響を与え続けている。三島こそが「日本の文化」であり、「日本の伝統」であり、「日本のこころ」であり、「日本全国温泉グルメバスツアー」なのであり、「和スイーツ (笑)」なのである。

こうした三島ファンが11月25日の「憂国忌」になるとわんさとつめかけてくるのである。三島の政治思想を知ってか知らずか、たこ焼き・お好み焼き・たい焼きの屋台が立ち、大道芸人が芸を披露し、チンドン屋が練り歩くといった様子で、市ヶ谷駐屯地一帯は三島一色に染め上げられるのである。ちなみに三島由紀夫の名高い「薔薇刑」のセクシーポーズの写真がポスターとして市ケ谷駅から駐屯地までの道すがらに貼られ、三島先生をしのんで造られた切腹間際の半裸の蝋人形がお目見えする。しかしさすがに晩秋の11月になって三島の蝋人形をそのまま寒空に晒すということは、ためらいがあるらしく、秋を代表する花である菊をあしらい、菊人形のようにしているのも、この季節ならではのことである。

そして黒服を着て在りし日を偲ぶ人がひしめく中にあって、「黒蜥蜴」の衣装を身に纏い、金髪をなびかせて会場にやってくるのが、美輪明宏氏である。チャンスがあれば三島を偲んで「メケメケ」や「ヨイトマケの唄」を絶唱する美輪の雄姿を拝むことが出来るだろう。

関連項目[編集]

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