宮間あや

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宮間 あや(左側)
Miyama cookie.jpg
名前
本名 みやま あや
愛称 あや、女ガチャ
ラテン文字 MIYAMA Aya
基本情報
国籍 日本
生年月日 1985年1月28日
出身地 千葉県山武郡大網白里町
身長 1.006hyde(157cm)
体重 49kg
選手情報
在籍チーム 岡山湯郷Belle
ポジション MF
背番号 10(クラブ)/8(代表)
利き足 右足



宮間 あや(みやま- 、1985年1月28日-)は、千葉県出身の忍者手配師である。日本のくのいち集団なでしこ蛇班では日々適材適所にボールと選手を手配する役割を担っている。澤兄貴の後継者候補筆頭としても目されている。

人物概要[編集]

民主党所属の政治家、宮間文夫の娘として生まれ育つ。父親は2011年4月に行われた統一地方選で千葉県議員選に出馬して落選したため、本記事執筆(2011/09)時点ではニートであった。その後同年11月に大網白里町議員選挙で当選したためニートではなくなったが、政治の場ではこれと言って存在感がない。

そのような父親とは対象的に、宮間あや本人は左右どちらの足でも高い精度で蹴ることが出来るプレースキック「蹴撃の術」などを武器に2003年以降なでしこ蛇班の中心的な存在として活躍。2007年のW杯では男子より3年先に「フリーキックで1試合2得点」を記録し、2011年W杯では2得点4アシストを記録するなど、澤の後継者候補筆頭としてその存在感は増々強まってきている。

趣味は温泉に浸かること。W杯優勝で巻き起こった「なでしこフィーバー」に目もくれず先に美作に帰った理由も「早く温泉に浸かりたいから」である。

得意な忍術[編集]

蹴撃の術[編集]

本来右利きであるが、男子サッカーで利き足と逆の足でシュートをミスし「利き足ではありませんでしたから」と言い訳する選手が連発していた姿を見て「逆の足も練習すればいいじゃない。男の癖に女々しい」と憤慨したことがきっかけで左足でも高い質のキックが出来るように特訓を始める。

両足を均等に鍛えるための特訓の1つ。片方の足が沈む前にもう片方の足を前に出すことで水の上を走る。

特訓中はもちろん利き足である右足の鍛錬も怠らず、非利き足の克服にありがちな「利き足側の訓練を怠って両足ともダメになる」ようなことはなかった。

その結果、宮間は「両足プレースキッカー」という世界でも稀なスキルを持つようになり、右足でも左足でも同じように高い質のフリーキックやコーナーキックを蹴ることが出来るようになった。

それに伴いなでしこ蛇班ではプレースキックのバリエーションが大幅に増え、プレースキックの度に選手達が宮間の元に集まり入念な作戦会議を開くようになる。2011年W杯決勝戦の澤の同点弾は「宮間がニアに蹴って澤がアウトサイドの足ですらす」作戦が綿密に練りこまれた結果である。

また宮間のプレースキックの精度を恐れるがあまり、相手陣内のバイタルエリアでは「押すな、押すな、絶対に押すな」「ここでファウルしたらミヤマにやられる」「どうぞどうぞ」となでしこ蛇班メンバーへのボディコンタクトを避ける相手選手が続出。その結果なでしこ蛇班は自由にボールを回せるようになり、世界の強豪の仲間入りに繋がっている。ちなみに2011年W杯ではニュージーランドが同点の後半23分にペナルティエリア前で岩渕真奈を倒してしまったという一幕があったが、その後大方の予想通り宮間のFKで沈められている。

もちろん試合の流れの中でもショートパス・ミドルレンジのパス・ロングパスは左右どちらの足でも高い質で蹴ることが出来る。例えば2011年W杯で川澄奈穂美を一躍アイドルに押し上げたスウェーデン戦の2得点は、1点目は宮間が左足で蹴ったセンタリングがきっかけであり、2点目は右足で安藤梢に出したロングパスがきっかけとなっている。

なお、この「どちらでもOK」というプレースタイルは父親の政治スタイルの影響であるかどうかは定かではない。と言うより多分関係ない。

空間操作術[編集]

ボールを持ってドリブルしていると思ったら突然足を止めて「来い来い!!」と手招きすることがあるが、これは実はパスコースを創りだすための空間操作術であり、相手DFラインや味方攻撃陣のポジションなどを自由に操作(手配)することができる。そこで作り出した広大なスペースやDFラインの裏等に正確なボールを配球することで自チームは大チャンス、相手チームは大ピンチに繋がるこの術は「足を止めた時の宮間ほど怖いものはない」と海外の代表選手達からも恐れられている。

先述の蹴撃の術と、この空間操作術は遠藤保仁を彷彿とさせることから、宮間は「女ガチャと呼ばれることがある。

術にかかる時間が安定しないのが欠点であり、0.001秒で済んで大チャンスに繋がることもあれば、たまに数秒かかっても終わらずに失敗してしまうこともある。

土遁の術[編集]

いわゆる「ステルス術」である。男子サッカーで「ステルス」と言う場合は「ステルス成岡」とまで称されているアビスパ福岡成岡翔や、横浜F・マリノス長谷川アーリアジャスール等のように「試合中ずっと消えていて全く役に立っていない」という隠語として使われることが多いが、宮間の場合は「試合の中で一時的に存在が消えたかと思ったら突然チャンスに顔を出し、呆気に取られた敵を尻目に決定的な仕事を行う」という賞賛の意味で使われる。

2011年W杯の決勝戦の1点目はまさにこの術を駆使したことで生まれたものである。ゴール前で混戦が発生しアメリカDF陣が必死でクリアしようとした瞬間、それまで姿を消していた宮間が突然ゴール前に出現してクリアボールをカット。突然の宮間の出現で動けなくなったアメリカDF陣とGKは最早何も出来ず、宮間は難なく1点目ゲットに成功した。

但し宮間のコンディションが良くない場合は失敗することがあり、W杯後に行われたロンドン五輪最終予選では姿を消したままになっている事が多かった。今後はコンディション不良時でも術が上手く行くように訓練を積むことが求められる。

澤兄貴の後継者を目指して[編集]

澤兄貴から「苦しい時は私の背中を見なさい」と直に言われたことがきっかけで澤に心酔し、将来は澤の後継者となり日本四大兄貴の座を目指すことを決意するようになる。その後は日々訓練に励んでいるが、実は澤となでしこ蛇班以外で一緒のチームになったことはない。いつも「対戦相手」として澤の背中を追っかけ続けている。

2010年アジア大会では澤の代わりにキャプテンとしてなでしこを引っ張りアジア大会初優勝に導き、正式な後継者として順調な滑り出しを見せたかに思えた。しかし2011年のロンドン五輪最終予選ではタメを作りたい宮間自身と素早い攻撃を仕掛けたい他選手達との間で意思疎通があまり出来ず、珍しくセンタリングミスやプレースキックミスも続発。さらに先述の通り土遁の術失敗も相次ぎ、十分なパフォーマンスを見せることは無かった。また五輪出場権獲得後の中国戦ではアジア大会以来のゲームキャプテンとして出場するも、前半に警告を受けてしまい前半終了後に交代し、キャプテンとしての役目は果たせなかった。

ピッチ外では若手選手達にマスコミ対応術を指南し、予選終了後に彼女らがインタビューを受けている横で「グッジョブ!」と指を突き出す姿を見せたなど兄貴の道を順調に歩んでいるが、肝心のプレー内容が「兄貴」の座を目指すには程遠い出来であった宮間は、日本に帰国した後に入った美作の温泉で背中を見せながら「兄貴の後を継ぐには、まだまだ背中が足りないと思いました。なでしこリーグでもう一度よく見てきます。出直しです」と語った。

その後再開したなでしこリーグで2試合5得点1アシストというとんでもない活躍を見せ、満を持して澤の居るINAC神戸レオネッサと対戦。しかし常時2人がマークにつくと言うINACの徹底した「宮間封じ」に対して宮間は何もする事が出来ず、湯郷ベルは0-1でINACに敗れてしまった。試合後、同居人のFW松岡美希に宮間はこう語ったという。

「澤さんなら、4人に囲まれても仕事が出来たはず。2人に囲まれただけで抑えられてしまうようでは、まだまだね…明日からまた出直しね!」

関連項目[編集]

Wikipedia
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