同期の桜

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同期の桜(どうき-さくら)は、今日も九段に咲いている。

概要[編集]

同じ兵学校の庭に咲く。

海軍兵学校築地から江田島へ移築(明治21(1888)年)されたことを記念して、明治天皇より下賜された対の苗木を、学校長である有地品之允少将が手ずから植えたと言われている。この桜は当校で培われ、育まれる(であろうorべきである)同期の絆を象徴しており、片方に「貴様桜」、もう片方に「桜」、合わせて「同期の桜」と命名してみたものの、学校長の交代時に申し継ぎを怠ったためにどっちがどっちか判らなくなってしまい、結局どうでもよくなってしまったのであった。しかし、自分につけられた名前なんて関係なしに桜はすくすく育ち、当校の名物としてみんなに愛されたのであった。

移植[編集]

その後、陸軍士官学校から靖国神社に寄贈されたいわゆる「陸軍桜」に対抗するため、海軍からも桜を移植する事としたのであるが、適当な(陸軍桜より立派な)桜が他になかったため、「同期の桜」の内「俺桜(あれ、貴様桜だったかな?)」を靖国神社に寄贈したのであった。そのため、貴様と俺とは離れ離れに散る事となってしまったが、しょうがないのであった。

処分[編集]

春の梢に、咲いて逢おう。

そして昭和20(1945)年、大日本帝国の敗戦に伴って上陸した米軍によって海軍兵学校は接収、みんなの精神的支柱であった「貴様桜(あれ、俺桜だったかな?どっちにしても兵学校に残された方)」を切り倒し、わざわざ公衆の面前でキャンプファイヤーの薪としてしまった。これは日本軍の強さが強固な精神的結束力によるものと信じられていたためであり、その象徴を目の前で焼き払うことで軍民ともにその反抗心を潰そうと考えての行動であったが、これが却って逆効果となり、日本の占領統治を困難にした事は言うまでもない

現在[編集]

一方、靖国神社に移植された方の桜(もう「同期の桜」でいいじゃん)は米軍の接収を免れ、特に火災に遭ったり病気に罹ることもなく、今日も花の都に彩りを添えているものの、どれだったか判らなくなってしまっている。また、江田島の方の桜(やっぱり「同期の桜」は二つで一つがいいのである)も、処分される直前に誰かが切り取っておいた枝を植えてみたところ、これが奇跡的に根づいて現在は立派な桜並木となっている。

外部リンク[編集]

血肉分けたる仲ではないが
なぜか気が合うて別れられぬ。

関連項目[編集]