利用者:三叶/サブページ5

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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記事の書き方

はじめに[編集]

ここは記事を書くにあたっての小手先のテクニックを延々と書き連ねただけのスペースだ。もっと本格的な内容を欲するならばこれなどを参照してくれ。なお、ここに書いてあることは私が独断と偏見と差別と倫理的欠損をレンズに塗りつけた重度の乱視用色眼鏡をかけて書いたものだ。また、高慢で傲慢で高飛車で他人を蔑ろにするような物言いがあるかもしれない。悪く思うなよ。


何かにつけて言えること[編集]

過ぎたるは猶ほ及ばざるが如し。

ただしそれがネタだったら別の話。


「面白い」の定義[編集]

さて、アンサイクロペディアで最重要とされる「面白さ」。これについて、いささか疑問を持っている人もいるのではないだろうか。何を以ってして「面白い」のか、誰が見て「面白い」記事が良いのか。それは他の利用者諸兄が散々述べてきたことだが、まだ納得できないという人もいるかもしれない。そこで、この節では「面白い」の定義について説明していく。


まず、定義といえば辞書。ということで、広辞苑第六版からその定義を引用してきた。

  1. 気持が晴れるようだ。愉快である。楽しい。
  2. 心をひかれるさまである。興趣がある。また、興趣がこらされている。
  3. 一風変わっている。滑稽だ。おかしい。
  4. 思うとおりで好ましい。


1~3を見れば分かるように、とにかく「おかしくて笑える」「技巧が凝らされていて面白い」というものが定義である。英語で言えば、「funny」と「interesting」だろうか。つまり、真に面白い記事を書こうとするならば[1]単純に笑えるだけでなく、読んだ人を感心させることが大切ということだ。


え、よく分からない?ならば具体例を出そう。秀逸な記事の一つである「たらい回し」だ。読んだ人はたくさんいるだろう。もし読んでいなければ、先に読むことをお勧めする。


この記事は、いわゆる「自己言及」というジャンルに属する。果たして何が面白いのかというと、言わずもがな記事そのものがたらい回しを具現化していることが一つだろう。この記事の場合、最初にはまったく気付けない、というところにさらなる面白さがある。この記事は、その点で人々を感心させ、「interesting」な記事なのである。


ならば、「funny」はどこなのか。人を感心させるだけでは秀逸な記事に昇華することはなかっただろう。だが、この記事には文章と呼べるものが存在しないため、笑えるポイントが見つからないような気もする。だが、この記事はタイトルだけで人を笑わせることができるのだ。この記事のタイトルは「たらい回し」「盥回し」「タライまわし」「たらいまわし」「タライ回し」「盥まわし」の六つである。ここまでするか、滑稽だ、という風に人々はこれを笑う。だから「funny」な記事なのだ。


お分りいただけただろうか?それでは本題、記事の書き方について解説していく。


ユーモアとジョーク[編集]

ユーモアというのは、実際にあったことを面白おかしく味付けをして表現したもので、ジョークは実際にはないことを想像して場面に応じて使い分けるものだ。これらはある状況の暗示や風刺に役立つ程度である。やたらに連発したところで面白くはないし、何の繋がりもないネタを挟み込んでもカオスなだけだ。

文法[編集]

各品詞における注意[編集]

言葉というものは非常に多岐にわたるもので、その数は無尽蔵だ。その中からいかに適切な語をチョイスするかが腕の見せどころなのだが、ここで勘違いしたくないのが難しい語をチョイスすれば良いわけではないということだ。稀に「酷い」を「惨憺」という人や、「日和見主義」を「筒井順慶を決め込む」という人がいるが、そんな回りくどい言い回しは記事としてはナンセンス[2]。むしろ、万人にウケるネタを取り入れたければ簡単な言葉を選ぶ方が賢明だといえる。しかしネタなら別だ。

名詞[編集]

これは問題なく選べるはずだが、文章中には少しばかりカタカナ語を入れるとスッキリとした文章になって読みやすくなると言われている。特に、最近になって重要視されてきている言葉(「コミュニケーション」など)をガチゴチの日本語(「意思伝達」など)で書くのはタブー。


動詞[編集]

ここで大切なのは、複合動詞はある程度有効であるということだ。例えば、「取って外に出す」というより「取り出す」という方がスマートだろう?記事にはスマートさも必要だ。じゃなきゃ読みにくいからね。


形容詞・副詞[編集]

  1. 厄介なことに、こいつらは置く位置によって意味が微妙に変わる。
  2. こいつらは、置く位置によって意味が厄介なことに微妙に変わる。


1では、意味が変わってしまうことが厄介なのに対して、2では微妙に変わってしまうのが厄介という意味になる。つまり、2では意味が変わること自体はどうでも良いのである。


文体[編集]

ネタでない限り、文体は統一したほうが読みやすい。

だ、である
記事を書くにおいて最もオーソドックスな文体だ。
です、ます
主張がやや弱くなるため、記事を書くにおいてはオススメできない。ネタならば別である。
だ、である+終助詞
「だ、である」よりフランクになる。「だな、であるぞ」など。あまり使われない。
です、ます+終助詞
「です、ます」よりフランクになる。「ですね、ますよ」など。あまり使われない。
関西弁
ネタでしか用いられない。
古文
ネタでしか用いられない。

主語[編集]

ここでは、主語について言及する。

「この統計は、新発売のゲームが大して面白くないことを示す。」


という文章があったとする。当然、主語は「この統計」だ。つまり無生物主語になるのだが、これはなかなか効果的なテクニックで、スパイスとして有効だ。知らず知らずのうちに使っているかもしれないが、かなり重要である。ただし誇張や使いすぎには注意


「新発売のゲームは大して面白くない、と統計が言っている。」


擬人法とも解釈できるが、これはナンセンスだと言えるだろう。このような修辞法は記事内で使用するべきではない。無論、ネタならば別である


ちなみに、もし使わなかった場合には


「この統計によると、新発売のゲームは大して面白くない。」


と、少々味気ない文章になってしまう。

修辞法[編集]

ここでは、特に記事を書く際に重要視される修辞法について言及する。

対句的表現[編集]

「Aには○○もあれば××もある。しかし、Bには○○もなければ××もない。」の様に、対句を用いることによって違いを際立たせることができる。当たり前である。

冗語法[編集]

例えばここみたいに使いすぎると面白さが失せる。石橋を叩いて渡りつつ慎重に注意深く用心して熟慮断行せよ!

ネタのチョイス[編集]

アンサイクロペディアにおいて、NRVを貼られる一番の原因がこれだ。ネタのチョイスとは、頭に思い浮かんだユーモアやジョークを取捨選択するということだ。初心者にありがちなチョイスミスとして、思い浮かんだアイデアを何でもかんでも詰め込んでしまう、というものがある。そんなことをしてしまうと、せっかくの記事がユーモアの寄せ集めとなってしまう。そこで、この節ではそのノウハウを教えることにする。ただし、これはすべて私の意見である。また、ネタとして変化球を投げるなら別だ。

前提として[編集]

  1. そのネタは一発ネタではないか?
  2. そのネタはパクリではないか?
  3. そのネタは万人に理解しうるものか?

ネタを思いつく[編集]

センスの問題、と一言で片付けることもできるが、それでは余りにも不親切だ。して、ここではそのヒントについて言及する。


クウォートを乱用すべからず
あっても4つくらいまでではないだろうか。クウォートが複数ある場合、散在させておくと良いかもしれない[3]
洒落に頼るべからず
洒落はスパイスのようなもので、それ自体がメインになることはない(自己言及は別)。さりげなく、クウォートの中にでも組み込んでいけば良い。
画像に恃むべからず
画像はとっておきのユーモアではあるが、使いすぎると不発弾ができてしまう。また、文章のレイアウトを崩してしまう可能性もあるので注意せよ。

以上のことを踏まえて、まずはアイデアを出していくと良い。

ネタを取捨選択する[編集]

さて、これが最大の難所である。以下3つのポイントを守ってほしい。

  1. ネタのジャンルは偏らせない
  2. 無関係なネタは排除する
  3. ネタが多すぎるのはダメ


まず、1について。例えば、あなたがあるアニメのファンで、それについての記事を書くとする。当然、あなたはそのアニメについて詳しい筈だから、そのアニメで使われているセリフのもじりをポンポンと思いつくだろう。そしてクウォートに組み込んだり、文章中で使ったりすれば面白い記事が完成する。…本当にそうだろうか?ネタを知っている人からすれば面白いかもしれないが、知らない人が見ても面白いと言い切れるだろうか。発言自体がそもそも面白いというのなら使って構わないが、よほどのめり込んでいない限り知りもしないような呪文やセリフを記事内に持ち込まれては不可解なだけだ。よって、そういった不親切なネタ(これを内輪ネタという)は削除しよう。また、そのアニメについて関連深い人物をネタにするのは相応ならアリである。つまり、ジャンルを偏らせてはならないのだ。


次に、2について。アンサイクロペディア界隈では支離滅裂といわれる項目である。これも具体例を挙げて紹介する。例えば、先程と同様にあなたがあるアニメのファンで、それについての記事を書くとする。それでネタを考えていくうちに、自分のもう一つの趣味であるドラマに関連した良いネタ(ドラマ自体はそのアニメに何の関係もない)を思いつき、それを記事に盛り込もうとする。しかし、これは浅慮ではないだろうか。理由は単純で、そのドラマはアニメとは無関係だからだ。もしそれをネタとして採用してしまうと、読んだ人は「何故このタイミングでこいつが出てきたのだろうか?」と思うし、1つだけなら何とかスルーしてもらえても、3つ4つ重なると読む気が削がれる。それでは他のジョークまでもがくすんでしまうのだ。


最後に、3について。ネタがたくさんあるのは良いことだが、多過ぎればこれである。記事の長さとネタの分量を考えて組み込んでみよう。なお、1000バイトあたりどのくらい、などは個人の匙加減である。


ネタを推敲する[編集]

ネタの取捨選択が終わったら、いよいよ文章に組み込んでいきたいところなのだが、もう一つだけ壁がある。それは、ネタの形だ。ネタの形とは、取捨選択したネタの文体はこうでなければ面白くない、などの拘りのことである。これを欠かしては良い記事にはならないので、しっかりと拘りを持って取り組んでほしい。

ネタの種類[編集]

ここでは、ネタの種類について言及する。

洒落[編集]

洒落は、ユーモアやジョークをかます為の常套手段と言って良い。ただしアンサイクロペディアではそんなに使われていない為、オススメとまでは言えない。だが、それを逆手に取って使うのもアリだ。


例を二つ挙げておく。



布団が吹っ飛んだ
これは、「名詞」と「動詞」の組み合わせで、最もポピュラーな型。

サイコロステーキが大好き
一見普通の文に見えるが、「さいころすてーきがだいすき」と、「英語」と「日本語」でかかっており、かつ「名詞」と「動詞」の組み合わせ。

なお、洒落は巧妙に作れば作るほど難解になる。洒落だと気づかれなければ本末転倒なので程々に。


陰樹林で運動 中に傷ついた農家のお帰りだ!


もし洒落だと気づかれなければ、上の文は極めて稚拙だと思われるだろう。さて、あなたは洒落だと分かっただろうか。

いんじゅりんでうんどう ちゅうきずついたのうかのおかえりだ!」で、「injury(英語)」と「wound(英語)」と「傷(日本語)」と「herida(スペイン語)」がかかっている[4]のと、「農家(日本語)」と「のおか(日本語)」がかかっている[5]のと、「宇宙(日本語)」と「運動」と「中」の間にあるスペース、要は「space(英語)」がかかっている[6]ので、合計3種類もの洒落が一文に凝縮されている。ここまでいくとセンス云々の問題ではなく、ただの努力賞である。


もじり慣用句、もじり諺[編集]

例えば、「青菜に塩」。しおれる様を表したければ別に「青菜に砂糖」でも構わないし、「青菜」という漠然としたものではなく「ほうれん草」といった具体的な野菜を挙げても良い。つまり、慣用句や諺は変幻自在なのだ。場合に応じて好きな言葉に置換すれば良い。当然のことだが、原型をとどめない程デフォルメしては何の意味もない。


隠語、スラング[編集]

一般に、「大衆の目に触れる記事に、内輪ネタやスラングを用いるのはナンセンスだ」と言われる。しかし、「スラングを使ったいいネタを思いついてどうしても使いたい」などと思ったことはないだろうか。そんなときは、別に用いても良いと思う。ただし、


  1. ネタを知っている人が見たらネタであると気づく程度に
  2. ネタを知らない人が見ても普通に面白いと感じる程度に


使うのがベストだ。これに自信がないなら使わない方が良い。なお、これに失敗して(具体的にはNRVなどをを貼られて)、「このネタを理解しない管理者が悪い」だの「これは十分に面白いではないか、きっと嫌がらせだ」だの言うのはナシである。それは全てネタを書いたあなたの所為で、その潜在的な面白さを伝え損じただけであるからだ。そんなときは大人しく出直そう。

全体の構成[編集]

文の連結[編集]

まず、伝えたい3つの事象があったとする。

  1. 腹が減った。
  2. 夕食を食べ過ぎた。
  3. 翌朝、腹を壊した。

この3つの事象を連結することを考える。


まず、すべて分離している状態ではどうか。


腹が減った。だから、夕食をたくさん食べた。食べ過ぎて、翌朝腹を壊した。
これでは味気ない。今回は接続詞をつけているからマシではあるが、それでも気持ち悪い文になってしまった。


では、連結してみるとどうか。3つすべてを連結してみる。


腹が減ったから、夕食を食べ過ぎたので、翌朝腹を壊した。
非常に読みにくい。これは一文中に理由を表す語句を2つ入れているから(「から」と「ので」)である。


ならば、一つだけ連結してみよう。


腹が減ったので、夕食を食べた。食べ過ぎて、翌朝腹を壊した。
腹が減った。そのせいで夕食を食べ過ぎて、翌朝腹を壊した。


上の二つよりは幾分読みやすいのではないだろうか。

より高度な低レベルさ[編集]

私もアンサイクロペディアに居座ってはや一年と四ヶ月。時とは早いものである。中三の春休み、アカウント作成って有料じゃないよな、と心底ドキドキしながらアンサイクロペディアのアカウントを作成したのを今でも鮮明に覚えている。ああ、あれはよく晴れたお昼前…だったような。あんまり覚えてねぇや。

と、そんなことはどうでも良い。私が言いたいのは、そんな一年と四ヶ月の間に、私の考えも随分と変わったということである。はじめの頃は私も「これおもろいやろ!」と思って様々な醜文を放出してきたものだ。まぁ現在の私がどうかは知ったこっちゃないが、とにかく私の中でユーモアという概念は大きく変化した。

ユーモアは自己満足であってはならないこと。ユーモアは人生を明るくすること。真のユーモアは不自然ではないということ。軽いノリでユーモアを語るのは無粋であるということ。そして、思ったより自分は面白い人間ではなかったこと。アンサイクロペディアから、私は色々なことを学んだ。この際「何言ってんだコイツ」という意見は、あえてスルーしよう。私は私の言いたいことを言う。こら、利用者ページの目的外利用とか言うな。耳が痛いから。

まぁアンサイクロペディアに邪魔ながら居座り続けた結果、とにかく私はユーモアというものを舐めていたなぁという感想を抱いている。というのも、以前の私はユーモアを一段階落とし込めば面白い、と思い込んでいたのだ。

さて、先ほどまでのピラミッドのようにでっかい話はやめにして、いつものアリの如く細々としたユーモア語りを始めよう。

「ユーモアは一段階落とし込めば面白い」という勘違いは、実のところユーモアは普通に書いても大して面白くはないということだ。そりゃユーモアは腐ってもユーモアだから、普通に書いても面白くないわけではない。でも、所詮はそこまで。中途半端にユーモラスな文章を書き続けていても、「アンサイクロペディアは寒い」と言われる理由にしかならない。たとえそれが実際に面白かったとしても、だ。

だから、今こそ伝家の宝刀こと「二段階落とし込み」を使おう。まぁ「落とし込み」という単語自体が私の勝手な命名であるから何とも言えないが、要するにユーモアをユーモアの中に落とし込むという意味である。例えば、「布団が吹っ飛んだ」というダジャレ(要はユーモア)を思いついたとして、それを適材適所に用いたところでそれでは折角のユーモアが勿体無いということだ。つまり「一段階落とし込み」では不十分なのである。ユーモアは適度および過度なズラしがあってこそ、深みが生まれるとかいうやつである。

では、「二段階落とし込み」とは何なのか。耳の痛みがようやく引いてきたので話をしよう。簡潔に言い過ぎるとユーモアの連鎖なのであるが、厳密に言うと連鎖であって連鎖ではなく、むしろ連続に近い。「布団が吹っ飛んだ」の例をもう一度使うと、例えば布団の吹っ飛んだ先が太平洋を跨いだ先、アメリカのフロリダ州で、宇宙船内で窮屈な睡眠を強いられるであろう宇宙飛行士に偏西風の生温いぬくもりとささやかな快眠をお届けすることになった、とかそういうのである。

そういうのって何やねん、というのはまぁ置いておいて、とにかく私の素敵な例示によって多少なりとも理解できた方もいたのではないだろうか。いたらぜひその内容を教えて欲しい。

なに、そんな呂律の回らないことばかり書いていると掲示板で揶揄されるぞ、だと?

…今、耳がちぎれた。病院行ってきます。

脚注[編集]

  1. ^ もしあなたが面白くない記事を書こうとアンサイクロペディアにやってきているのなら別である。
  2. ^ 小説で使う分には問題無い。
  3. ^ クウォートを記事内にバラけさせれば良い、という訳ではない。
  4. ^ 厳密には、injuryとwoundは意味が微妙に違うが誰も気にしない
  5. ^ 文字は違えど音は同じ。
  6. ^ 実はこういうかけ方もあったりする。文字の特権だ。