一年生になったら

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一年生になったら』(いちねんせい - )とは、日本国民のほとんどが知ると思われ、同時に日本国民のほとんどがそこでの重要なある一点を見落としていると思われる、日本の童謡である。

概要[編集]

学校への入学を経て友好的な人間関係を構築したいという、新入生の明るい夢を描いているものとして知られる。日本人であれば誰でも一年生になるシーズンには必ず聞くことになる曲である。また、テレビラジオなど音声の伴うメディアでは、どの時代でも進学に関する話題となるとほとんどの場合この曲が同時に流される。なお、ここでの一年生になることがどの段階での進学であるかに関しては歌詞の中で一切言及されていないため、恐らく小学・中学・高校・大学、いずれへの進学にも当てはめることが出来るものと思われる。何度進学しても自分の実態とは程遠いこの歌詞の内容を思い詰めてしまう人にとっては切実な内容かもしれないし、そうでなくてもあるいは単に無謀であるかもしれない。友達百人はさすがに人間関係が面倒だろう。

内容[編集]

内容とその主な流れとしては、「一年生になったら友達を百人作りたい」→「そうしたら百人で楽しいことをしたい」というのが骨組み部分として固定的なものとなっており、歌詞自体が替え歌としてどのように作り変えられてもこの骨組みだけは基本的に残されていることが多い。

しかし、ここでは重要なことが非常にあからさまながらも見落とされてはいないだろうか。

ここには友達全員で一緒に何かを楽しみたいという意味が込められていると思われるが、友達を百人作ったら、全員で何かをするとなるとその人数は百人ではなく自分を含めた百一人となるはずである。自分を総人数に入れたくなければ「百人何かをしたい」という歌詞にしなければならないのにである。

つまり、友達と全員で何かをする段階では友達が一人足りなくなっており、本来作ったはずの百人の友達はこの時に九十九人となっているのである。この場から消えた「一人」は、一体どこへ行ってしまったのだろうか?まさか、協調性のない一人が仲間外れにされたのであろうか?しかし、純粋無垢なる小学生に聞かせることもあるような国民的人気を持つこの歌に、そのような意味が込められているとは考えにくい。

なお、英語では友達になることを「[主語] make friends with [目的語]」という。ここでは、相手が一人であっても、友達を意味する「friend」の語が複数形になっていることに留意されたい。即ち、直訳では「ある人と『二人の友達』になる」という意味を示しているものと思われるのである。この考え方では友達は作った時点でも自分も含めた上での百人となるため、全員で百人といっても一人減っていることにはならないというように理論付けることが可能である。しかし、このような英語圏特有でしかない考え方が混同されたという理論に対しては、依然として疑問を呈す声が少なくない。

考察[編集]

これに関してアンサイクロペディアが独自に調査を展開したところ、驚くべき考察が発見された。その内容は次の通りである。

歌詞における百人とは同じ進学先の人々、即ち新たに所属した組織の人々であるが、実際のところこの歌詞において主体となっている人物は、その人々のうちの一人とすれ替わっているというのである。ここから想起されやすいのは潜入行為、そしてそれによる諜報活動や破壊工作、即ちスパイである。

つまり、この有名な歌詞は一見無邪気な新入生の夢や希望を歌っているように見せかけて、実は新入生ならぬ侵入生の野心の見本を仄めかしているのではないか、という説を示しているのがこの考察なのである。

関連項目[編集]

ちなみにこの記事の作成に際してあの大人気百科事典サイト・ウィキペディアに問い合わせたところ、この童謡に関する記事は存在せず、それどころか今まで一度も記事が作成されたことがないという情報を返された(2015年12月12日時点)。

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「一年生になったら」の項目を執筆しています。

この記事が作成されてから18日後にはこの影響を受けたかのようにウィキペディアでの記事も作成されたが、ここまで有名な童謡の記事がこれまでに一度として作成されなかったというのはいくらなんでも不自然なことである。もしかすれば、本来これまでに記事を作ろうとした人々がいくらかいて、彼らもまた、単純ながらも人にその重要な矛盾を決して気付かせない歌詞の暗部に気付き、それを特筆しようとしたのかもしれない。そしてその人々は、敵国での破壊工作を密かに扇動しようとする過激な組織によって、歌詞の深層なる部分に込められた重大な意味に気付かせまいと、恐ろしいことに抹消されたのかもしれない。

とはいえ、そんなことはきっと杞憂であろうが、例え本当にこれが事実の核心に触れてしまったとしてもここはアンサイクロペディアだから多分だ(ry