ボストン茶会事件

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ボストン茶会事件(ボストンちゃかいじけん)とは、1773年12月16日ボストンで行われた茶会にて、茶箱342箱分の茶葉とボストン港の海でお茶を淹れるという大技が成し遂げられた事件である。アメリカ合衆国の独立の契機となったことで知られる。

背景[編集]

緊迫したボストン港の様子

昔々、あるところにイギリスという国とフランスという国があり、この国々は植民地の奪い合いで何年にもわたる戦争を続けていた。イギリスはやっとの思いで植民地を獲得したが、戦争があまりにも長引いたため多額の借金を抱えた。イギリスはこの大きな負担に困ったが、とても良いことを思いついた。そうだ、イギリスには植民地があるではないか。本国が負うにはあまりにも大変な重荷だから、これは植民地に負わせよう。このような結論に至り、イギリスは北米の植民地にいろいろと税金を払わせることにした。しかし、本国での代議士による参政を認められていないのに税を払わなければならなかった植民地は不満を隠せなかった。

やがて1773年、本国は大量の茶の在庫を植民地で捌くために、植民地での茶の販売をイギリス東インド会社に独占させるための法律を制定した。しかし、もちろん茶の値段には税がかかっている。植民地側はこの法に従えばイギリス本国に貿易を独占されながらもその課税を容認することになってしまう。ボストンに停泊した貿易船は荷揚げを拒否され退去を要求されたが、本国側も言われた通りに帰るわけにはいかなかった。両者の間には緊迫した空気が流れていた。

事件[編集]

トーマス・ジェファーソン(左)とベンジャミン・フランクリン(右)

ボストン市民はこの緊迫した状況で悩みに悩んだ結果、このような結論に至った。両者ともに一旦にらみ合うのはやめて、せっかく大量に茶があるのだから、お茶でも飲んでゆっくり楽しもうではないか、と。このとき、ボストン港に停泊していた東インド会社の貿易船には342箱もの茶箱が積まれていたし、これはみんなでお茶を飲むには十分な量であった。しかし、次はお茶を淹れるために十分な量の水を調達しなければならず、人々はこれに悩んだ。しかしある者が言った。水ならここにたくさんあるではないか、と。ボストン港はまさに無尽蔵の水に満ちた場所だったのである。

さあ、楽しいお茶会を開く準備は万全だ。いざと言わんばかりに本国からの来客をもてなそうとインディアンのコスプレをして出てきた50人ほどの愉快なボストン市民たちは、「ボストン港を、ティー・ポットにしてやるぜ!!」と大胆な決め台詞を放ちながら、貿易船に積まれていた大量の茶を次々とボストン港の海に投げ入れた。騒ぎを聞いて駆け付けた他の住民も、東インド会社の人々も、お茶が出来上がるのを待って茶の投げ込まれる海をじっと眺めていた。そして342箱分の茶を余すことなく使用した大量の紅茶が、あっという間にボストン港のティーポットの中で出来上がったのである。人々はその鮮やかな出来栄えに盛大な拍手を送り、出来上がった茶を皆のティーカップに注いだ。そして、ここに大規模な楽しいお茶会を開催したのであった。

しかし、一口飲んでみると人々は戦慄した。出来上がった茶の味があまりにも酷かったのである。冷たい茶の味は異常なまでに塩辛く、茶の風味など微塵も感じられなかった。そして次に人々を襲ったのは、悍ましいほどの渇きであった。くそ、騙された!本国の茶は最悪だ、こんなもので貿易を独占されるのはさすがにたまらん!植民地の人々は憤った。

こうして植民地は第一回の大陸会議においてイギリスとの行政的・経済的断交を決定し、やがて事態は独立戦争へと発展、そうしてアメリカ合衆国の独立へと至ったのである。また、人々はこのあまりにも酷い茶の味がトラウマになって茶を飲むことをやめ、コーヒーを飲むようになった。アメリカ人の多くが紅茶よりもコーヒーを好むのはこのためであるそうな。めでたしめでたし。


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