ジョージ6世 (イギリス王)

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「いつも人から与えられた地位と仕事をやってきた。だから、せ、せめて仕事は、この仕事は、全うしなきゃならんと思う…んだが…」
疎開拒否 について、ジョージ6世

ジ…………ジジジジョジョージ6世(英語:George VI,1895年12月14日 - 1952年2月6日)とは、かっかっかっかかつてのイギリス国王。む、む、むの、むの、無能で臆病で吃音だったが責任感だけはあった国王。きっきよっきょっ極度のラジ、ラジ、ラジオ中毒だったため、こ、こ、こ、こ、こ、ファック!ファック!ファッキン!!あー、こ、国民にはラジオ王として親しまれた。

生涯[編集]

王子時代[編集]

よ、幼少の頃ジョ、ジョ、ジョージは、ききききき厳しい指導で、ひっひっ左利きを矯正させ、さえ、させられ、えっ、えっ、え、えX脚をきょう、きょう、矯正されられ、っさ、さ、更には乳母に執拗なぎゃ、ぎゃく、ぎゃ、虐待を受けたたたために、か、過度のストレスに見舞われ、じじじじゅ重度のきっきっきつ吃音症を抱えることになっなっなったなった。

きっきっ吃音が酷かったために、あ、あまり喋らなくても良い職業につっ就こうと、か、か、海軍に仕官するがはつ、あ、はー、しょ、し、初等海軍兵学校においての成績はてってってってっ底辺で、さ…………更にダダダダートマス海軍兵学校で、き、……教育を受けて、すっせ、せせせせせ1913年に、なん、何とか士官候補生となるが、ちっちっちょっちっちょっちょ直後の1914年に、だ、だ、第、だいちじ、第いい、第一次世界大戦が始まり、せ、せんか、せん、戦か、戦か、戦艦スタ、スタ、スタッフとして乗船することになってしまう。あーしかし、せ、せん、戦闘の恐怖で腹痛を起こして、ぃ、い、ぃむし、いむし、いむ、医務室に籠もりきりになっなっなってしまい、ろ、ら、ろ、ら、ら、ラララーローラルロー!あー、ろ、ろ、ろくに活躍せず邪魔だったので海軍を追い出されることになった。さ、さ、さ…………さい最終的にくっくっ空軍の独立部隊の本部スタッフというコ、コ、コ、コ、コネ入社の役立たずが落ち着くような、おっおっおっおっお飾りに遇されることになって、な、なった。

せ、せ、1923年には、エリ、エリ、エリザ、エリザベス・バウエス=ライ、ライオ、ライオウ、ライオンと結婚することになるが、そっそっそれも二度振られた上に、あ、あき、あー諦めきれず、に、に、2年間も求婚し続けた結果だった。ジ、ジオ、ジョ、ジョ、ジョージは何においても人並み以下だ、だ、だったが、ひだ………………ひ、ひだ、左利きも、え、X脚もな、なん、な、何年も掛けながら最後には、し、しゅ、しゅしゅ修正したジョージの、び、美点は、こ、こん、根気強く、せ、せっ、せぃ、誠実なことであった。たっ、たっ、たっ、ただし一人の女性への、ぃ、ぃ……、い、異常な情熱が、び、び美点になるのは、お、おぅ、お、おう、王族のみである。

こっ、この王子時代は、び、びん、貧乏だったヨ、ようで、ゆ、ユー、ゆ、友人とのか、かか賭けで1シリング、ままま負けたときもし、し、支払えず、あ、あと、の、のの後々まで1シリングをだ、ダ、ダン、ダす、ダシに嫌みを言われつ、つつ、つ……つづ、つっッファック!あー、つ、続けていた。

せせせ1925年、ジ。ジオ、ジョージにとっとっとっとって運命の日とな、なって、なって、た、な、なった、じ、じゅ、10、じゅうが、10月31日、か、彼、か、彼は、お、おも、重い、き……っ……きっ、吃音にも、かか、かっ、かっ、かかか、か、関わらず、ゆ、ゆな、ユナイ、ユナイテッ、ユ、あー、え、英こ、英国王子として、英国おう、えいこ、英国万国、はっ博覧会の、へ、へい、閉会の、ス、ス、すぽ、スピーチをつよ、つ、し?、強いられることになっなった。ひひひひ人前にでっでっ出るききんきんき緊張により、か、かれ、彼のきっき、きっ、きつ吃音は、ち、ちょう、ちょ、ちょうしゅう、ちょうしゅう、ちょ、聴取困難の度を……度を……度を……ふか、深め、なん、何度、何度も詰まり、と、時には………………時にはこ、こと、…………こと……言葉が出なくなっなって、ちっ、ちち、ちちちと、遅々として、げ、げ、げ、原稿を読み上げられない、そ、そ、そん、そん、そんなか、そん、そんな中で、かかか会場のちちょ聴衆はおおぅおっ王子のスススススピーチという言うことで、き、き、きり、きり、起立状態で、か、か、かん、か、完ぜ、完全ちん、ちん、か、完全沈黙を、もっもっ求められる。そ………………その、せ、せぃ、静寂が…………か、彼に、さささささ更なる、じゅ、じ、じ、じゅ、重圧を与えてきっきっきっ吃音が、ひ、ひ、ひ、ひどくなる。おん、おん、ぉ……ぉ音痴のリリリリリサイタルどころではなか、なか、なく、か彼と、ち、ち、ちょ、聴衆の、り、りよ、良、りょ両方にとって、あ、あら、あら、あらら、あらゆる意味で、ち、じ、じ、地獄の時間となった。

しししししかしジョジョジョジョージは、こっこっこれほどの辱めを受けながら、じ、じ、じじ自分の声を顔の見えぬ遠く多くの人にまで、とっとど、届けることに、き、奇妙な快感を覚えて、し、しまった。かっかっ彼は再びスピーチを求められた時のために、こ、こ、今度は聴衆を熱狂させられるようにと、じ、じょ、情熱的な意欲を持って自らの、きっ吃音症を克服していくことになる。じ、事実、わ、わずか2年後の1927年にオーストラリア連邦議会でした開会の辞では、ほぼどもらずにやり遂げてしまったあたり異常なほどの情熱を感じることができる。

このころ、ジョージは密かにラジオパーソナリティになる夢を持っていたと思われ、兄エドワード8世がいるため王にはなれないであろうジョージに対してカナダ総督になるよう打診があったときも断固として拒否している。

こうして吃音を克服しスピーチの技術を磨いていたジョージであったが、1936年に国王であった父が死んでしまう。そして王位を受け取った兄が1年もせずに「国より女の方が大事」と、自分の女性と結婚するために王位を返還してしまったために、当時継承権1位であったジョージが国王に就くことになってしまったのである。このときジョージは母親に「酷いよ。僕なんかに出来るわけないだろ。海軍の勉強しかしてなかったのに。」と自らの無能さをさらけ出して泣きついたと言われる。海軍は勉強してあれなのだから、国王が勤められないのは誰の目にも明白だったが、彼しかいなかったのであった。

国王時代[編集]

国王になった3年は何も問題が無く過ぎ去った。しかし、時代はナチズムファシズム共産主義の悪意が渦巻く時代であった。

1939年の9月3日、2日前のドイツポーランド侵攻を理由にイギリスはドイツへと宣戦布告をした。この日、ジョージはラジオを使って全国民に対して開戦スピーチを行い国民達を鼓舞した。この日のジョージによるラジオ放送は国中の聴取者を釘付けにし最高の評価を持って受け止められたのである。

この評価に気をよくしたジョージは戦争が拡大し困難を極めることを良いことに、兵士への戦意昂揚を理由にして毎日のようにラジオ番組に出演していった。ジョージのトークは、昨今の軽快なラジオDJの語りとは真逆でゆっくりとした重々しいものであったが、その重厚さが聴取者に好感をもたれた。ナチスをこき下ろす毒舌トークも人気で、同時間帯の聴取者占有率はほぼ100%であった言われる。

当時のラジオではジョージの声を聞かない日はないほどであり、国民には「ラジオの支配者」と「ラジオが好きな王様」の二つの意味でラジオ王と呼ばれた。時には王妃と共に出演して完全にラジオライフを楽しんでいたようで、ドイツ軍が首都に爆撃を加えるようになり、側近から安全な土地への疎開を提案されたときも、放送機器の充実していない田舎に籠もれるかと首都に留まり、拳銃を携帯してラジオ番組に出るほどであった。まるでラジオキチガイである。

しかし、そんなジョージにとって夢のような第二次世界大戦も終わることになり、緊急時として求められていた国王のラジオ出演も殆ど無くなって、年に一度のクリスマススピーチの他は時折求められる国事のスピーチぐらいになってしまった。彼は、このことに酷く消沈してしまったため戦争直後から体調不良に悩まされることになり、しだいに克服したはずの吃音も戻ってしまっていっいっいった。ば、ば、ばん晩年のクックックリスマ……クリスマススピーッ……クリスマススピーチは、ろっろっロックろく、録音を繋ぎ合わせた、ほ、ほうそ、放送になっなってなってしまい、な、なま、生放送しゅ主義だったジョッジョッジョージは、か、完全に生きる、きっ気力を失い、し、し、しゅ、終戦からわ、わ、わず僅か7年後に命の日をもっもっ燃やし尽くしたように、し、死去した。

評価[編集]

国王の評価としては、善良であることとラジオに出演したこと以外は何も評価されていない。しかし彼が幸運だったのは、国王として望まれるのが善良さだけだった時代に生きたことであった。

しかし彼のラジオには今なお熱狂的なファンがおり、そのファンにより彼のラジオ放送題材にした「英国王のスピーチ」が制作され全世界で公開された。映画はただジョージがラジオ番組をするまでを描いた退屈な内容だが、ジョージファンの熱烈な支持を得てアカデミー賞の作品賞他7部門を獲得してしまい、彼のファンは今なお世界中にいるということを全世界に知らしめた。

彼らファンの中ではジョージは無能な臆病者などではなく英国の守護神であり、ジョージの死去も自然死ではなく、実は再び飛行船で攻め込んできたナチスの残党を相手に、攻めてくるナチス兵を相手にちぎっては投げちぎっては投げ、全身に爆弾をくくりつけ敵の空中船艦ごと吹き飛んだのだと言う迷信がまことしやかに受け継がれている。

関連項目[編集]