ジョージ・ハリスン

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ジョージ・ハリスン (英語: George Harrisonヒンディー語: जार्ज हरिसन、1943年 - 2001年) は、イギリスのバンドビートルズの3番目の男として有名になられ、そののちに偉大なグル(尊師)となられたお方です。

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ビートルズ時代(When he was Fab)[編集]

温厚な尊師はいつも最後尾に甘んじておられました。

尊師はメンバーの中で一番年下であり、物静かで自己主張しない性格なのもあって他のメンバーからよくちょっかいをかけられていたそうでございます。リンゴ・スター加入以前のドラマー、ピート・ベストは勉強ができたのでジョン・レノンポール・マッカートニーからひどく嫌われていたのですが、彼が追い出されてからは矛先が尊師お一人へと向けられたのでした。ジョンに「お前は何で曲を書かないんだ?書けないの?」と言われて書いた曲"Don't Bother Me"(ほっといてよ)が尊師の初めての作品でした。また世間知らずでもあられ、バンドが有名になって「すごい、僕達お金持ちだね」と喜々としておられたところ「いや、税金でほとんどパアだね」と言われ大変ショックを受けて『タックスマン(税金集めの人)』を作曲なさったことはよく知られています。リードギターを担当しておられましたが、精神面においても他のメンバーをリードしインドまで導くこととなります。カレー屋のBGMに感激してシタールをお買い求めになり、『ノルウェイの森』でちょっとだけ弾かせてもらったのが最初で、どんどん深みにはまっていったのです。他のメンバーにさんざん小突きまわされたあと、LSDを飲んでトリップしつつインド哲学の本を読んでいるときが、若き日の尊師にとって唯一心休まる時だったといいます。

そして、ビートルズの他のメンバーが楽しくオノ・ヨーコマワしていた1966年、ジョージ・ハリスン尊師は剃髪してついにインドへ飛び、あこがれのラヴィ・シャンカールに師事してみっちりシタールを習得され、ドラッグをおやめになり、クリシュナムルティをお読みになり、民族衣装を召してタージマハルの前で自撮りをなさり、後ろ髪をひかれる思いでインドをお発ちになったのです。

元々ジョンやポールにとって「何を考えているかいまいち分からないやつ」だったジョージ尊師はここにきて「わけのわからないやつ」の地位を獲得なさいました。以降、彼らは尊師の頭の中についてはとくに触れないように気をつけつつ、そのギターの弾き方にだけあれこれ注文をつけ始め、これを受けて尊師はさらにいろいろな楽器に手を出すようになりました。果ては電子楽器にハマり、『電子音楽の世界』というアルバムを出すまでになりますが、これがろくに調律していないモーグ・シンセサイザーを40分以上シャカシャカ、ブボンブボン、ボボボビ……と鳴らし続けるまさに地獄のような代物でございました。

ここに、ジョン・レノンが作った尊師のテーマソングを紹介します。とはいえ皆様はもうご存じでしょう。

He's a real nowhere man         彼はまさにどこにも居場所のない男
Sitting in his nowhere land       どこにもない土地にいて
Making all his nowhere plans for nobody 誰のためでもない、行き場のない計画を練っている
Doesn't have a point of view       焦点が定まっておらず
Knows not where he's going to      自分がどこへ行こうとしているのか知らない
Isn't he a bit like you and me?     ちょっと俺やお前に似てるよな?
Nowhere Man, please listen         どこにも居場所のない男よ、聞いてくれ
You don't know what you're missing      君は道を誤っているのがわかってないんだ
Nowhere Man, the world is at your command  世界を思い通りにできるというのに
He's as blind as he can be        彼はなんにも見えてない
Just sees what he wants to see      彼の見たいもの以外は
Nowhere Man can you see me at all?    俺のことだってちゃんと見えてるかい?
Nowhere Man, don't worry             まあ心配ないさ
Take your time, don't hurry            時間をかけろ、急ぐことはない
Leave it all till somebody else lends you a hand 誰かが手を貸してくれるまでそっとしておこう

実際には尊師のお友達はメンバーの誰よりも多く、またジョン・レノンの行く末を知っている我々にしてみれば「お前が言うな」と思うところですが、ただこの時点ではビートルズの先頭二人(リンゴ・スターが何かを考えるということはありませんでした)は真に困惑し、かつての「いじられキャラ」ジョージ・ハリスンとの間に辛うじて残されているはずの接点を探していたようでございます。尊師はあくまで大人しくニコニコと彼らの後について歩いておられましたが、ある日ポール・マッカートニーにいちゃもんをつけられてついに心底嫌気がさし、スタジオから逃亡なさいました。そしてそのままご友人のエリック・クラプトンの家にあがりこみ、縁側で座禅を組んで庭を眺めておられたのです。庭にはうららかな日差しが注ぎ、サイケデリックな色彩のお花が咲き乱れ、ラリった小鳥さんがふらふらと飛び、何かの瓶で作ったシシオドシが時々ぽこんと鳴っておりました。そんな中で尊師はマハリシ直伝の瞑想を続け、そこでふと昨夜の妻の言葉が脳裏をよぎったのです。「よく見て、赤ちゃんはここから来るのよ」……こうして誕生したのがかの名曲『ヒア・カムズ・ザ・サン(Here Comes The Son)』でございました。

この妻、モデルのパティ・ボイドとは、尊師がビートルズとして出演した映画が縁で知り合ったそうです。尊師が彼女についてお書きになった作品は数多く、中でも以下に示す“Something”は名曲の誉れ高く、生涯を通じての代表作とも言われているものです。

Something            『なんか』
Something in the way she moves  彼女の動き方が なんか
Attracts me like no other lover 他にないくらい素敵なんだ
Something in the way she woos me おねだりのしかたも、なんかかわいい
I don't want to leave her now 彼女と離れたくないな
You know I believe and how   僕が彼女をどんなに信頼してることか
Somewhere in her smile she knows   彼女は知っててあんな笑い方するんだ
That I don't need no other lover   僕に他のコはいらないって
Something in her style that shows me 見てたらなんとなく分かるんだ
You're asking me will my love grow 進展はあるのか、と君は聞くけど
I don't know, I don't know     分からない、わからないよ
You stick around now it may show  僕のそばにいたらそのうち分かるよ
I don't know, I don't know     いまはわかんないけど
Something in the way she knows    なにかしらの方法で彼女は分かってるから
And all I have to do is think of her 僕は彼女を思っているだけでいい
Something in the things she shows me 彼女がなんかそんなふうに示してくれるんだ
Don't want to leave her now いまは彼女と離れたくない
You know I believe and how  すごく信じてるから


このとき尊師が地面から5センチくらい浮いていたであろうことがうかがえます。このような素晴らしい曲が尊師の脳内から練りだされていくさなか、当のパティ・ボイドはクラプトンとしっかりデキていました。彼女としてはヒッピーの倫理に従っただけでのことですが、やはり驚かされます。そこでなんとも寛大な事に、尊師は彼らを祝福なさったのです。尊師はさらに、パティがクラプトンの前にも、これも尊師の大切なご友人であるギタリストのロン・ウッドとも関係を持っていたことを御存じで、このときはご自身もロン・ウッドの妻と泊まりがけで旅行なさることでチャラにしています。尊師もまた、れっきとしたヒッピー野郎であり、彼らと兄弟の契りを結ぶことを快く許し、悦んでおられるようでした。

尊師はのちに自分の秘書オリヴィアと結婚なさいました。褐色の肌を持ち、信仰に理解のある聡明な女性で、尊師は彼女をインド人だと思っていましたが、メキシコ系アメリカ人でした。

仕事と私生活両方のゴタゴタが、尊師をさらに崇高な世界へと誘いました。その心はもはやビートルズを遠く離れ、自らの根を探す長い旅を本格的に始めていました。

ソロ活動[編集]

ソロになってから尊師が最初に目を向けられたのは、アメリカの泥臭いブルースやルーツ・ロックの世界でした。キャッチーさとは無縁の切実な魂の叫びに深く共鳴し、尊師はいくつかのそういったアルバムのプロデュースに関わりましたが、たいていヒットせずミュージシャンたちは細々と活動を続け、そのうち消えていくのでした。そんな人生のやるせなさ、自らの信仰、ビートルズにいた頃の恨みつらみなどを尊師が見事なスライドギターにのせ、時々ヘロヘロになってえもいわれぬ味を醸し出す声で歌うと、実にレコード3枚分という当時としては気ちがいじみた量になりました。それをそのまま出すとご自身もヤバいと分かっていたので、ビートルズ時代から付き合いのある名プロデューサー、フィル・スペクターの手にゆだねました。のちに売れない女優を過剰にプロデュースして塀の中に入ることになる男ですが、この時は素晴らしい仕事をしたようで、尊師初のソロアルバム“All Singles Must Pass”(全てのシングルは消えゆく運命)はその湿っぽい内容にもかかわらず大ヒットしました。これ以上のヒット作は、その後ついに出ませんでした。内容が難解だというのです。

詞の世界[編集]

インド哲学と音楽、また英米のルーツミュージックなどに幅広い興味と尊敬の念を持ち続けた尊師の作品をいくつか紹介します。深遠な世界を味わってみましょう。

You     『きみ』
I         僕は
I         僕はね
Love, love    愛、アイ……
And I, and   でね、僕、それでね、
I          僕
Love you    愛してるんだ
Oh you,     ああ、君をね
You, yeah    君を!イエイ!
You       君をさ!


Ding-dong 『キンコン』
Ring out the old, ring in the new 鐘を鳴らして古い年を追い出し
Ring out the old, ring in the new 新しい年を迎えるよ
Ding-dong, ding-dong キンコンカンコン
Ding-dong, ding-dong キンコンカンコン


Zig Zag    『ジグ ザグ』
Zig zag ジグ ザグ
Zig zag ジグ ザグ
Zig zag ジグ ザグ
Doo, doo, doo ドゥッドゥッドゥッ
Doo, doo, doo ドゥッドゥッドゥッ
Doo, doo, doo ドゥッドゥッドゥッ
Doo, doo, doo ドゥッドゥッドゥッ
Oh, zig zag オー、ジグザグ


はい、次に行きましょうね。

映画制作[編集]

尊師自らプロデュースなさったアルバムの売り上げは伸びず、髪と髭だけがいたずらに伸び、はからずもグルにふさわしい容貌になっていきます。尊師は日頃の憂さを忘れるべくコメディアンと付き合うようになりました。ことにモンティ・パイソンのメンバーとの親交は深く、彼らの映画『ライフ・オブ・ブライアン』には端役で出演なさいました。この映画のために尊師は自ら「ハンドメイド・フィルムス」という会社を立ち上げ、さらに、映画制作に興味を持たれた尊師は手作り感あふれる映画をいくつも世に送り出しました。1981年の『バンデットQ』では、尊師お得意の人を煙に巻く主題歌により、テリー・ギリアムによる脚本のめくるめくような効果を高め、あちこちの映画館で「ハア?」の嵐を巻き起こし大ヒット、1983年『上海サプライズ』では尊師入魂の主題歌が、脚本や主演俳優の演技と共に第7回ゴールデンラズベリー賞の栄誉に輝くなど、この方面では大成功を収めました。

復活、そして[編集]

尊師が本業である音楽への情熱を失いかけていた1980年、ジョン・レノンが射殺され、オノ・ヨーコが発狂し、『ローリングストーン』誌はレノンの尻をでかでかと表紙に晒しました。この衝撃的な事態に尊師は動揺し、リンゴ・スターのために書いておられたはずの曲を急遽ジョンに捧げました。その後しばらくは悲しみに沈んでいたのですが、やがてアルバムの制作にとりかかります。オリヴィアの場合、尊師の死後にそのヌードを公開する心配はありませんが、それでもミュージシャンとして何かもっとはっきりした成果を残したいとお考えになったのです。わずかにあったプライドを捨て去りプロデュースをご友人のジェフ・リンに任せたことで、久々のアルバム『プライド・ナイン』はよく売れました。中でもビートルズ時代を回顧して書かれた“When We Was Fab”は、Cyriakを先取りしたプロモーションビデオも話題になりました。

元ビートルズとしての活動が増え、その息抜きとして作った覆面バンド『トラヴェリング・ウィルベリーズ』も大きな成功を収めました。ロイ・オービソンやトム・ペティといったとくに歌のうまいご友人ばかりを集めて結成なさったので、スタジオを貸した縁で仲間に入れてもらったボブ・ディランの下手さが際立つ素晴らしい作品で、あのビル・クリントン夫妻やエディ・マーフィーも受賞したグラミー賞をとっています。

ミュージシャンとして再起を果たした矢先、尊師は自宅でヘロイン中毒の男に襲われ、刃物で肺を深々と刺されてしまいます。オリヴィア夫人があわてて飛びだし「ヨガファイア」と叫んで火かき棒で犯人をボコボコにしている間、ジョージ尊師は無言で床に倒れていました。ガンディーの教えを守ったのです。一命は取り留めましたが、医師は尊師の肺がインドっぽい形に変形していることに気づきました。彼は驚きのあまりインドレストランに予約を入れ、一皿のカレーでナンを5枚食べたそうです。やがて尊師の体調がすぐれないといううわさが広まり、死期が近いのでは、とマスコミが書きたてるようになります。そこに尊師による最新の録音が届きます。

You can take a horse to the water  君たちは馬を水辺に連れていくことはできる
But you can't make him drink    でも馬に水を飲ませることはできないよ
Oh no, oh no, oh no         残念、残念、残念

英語圏のことわざそのままの文句だし、ちょっと前に流行ったピン芸人にも似ていますが、ともかく、「死ねと言われたからってそう簡単に死にはしないさ」という力強いメッセージですね。が、その一ヵ月後、尊師はあえなく逝去。遺灰はガンジス河にまかれました。

しかし尊師はまだかくし球を残しておられたのです。最後のアルバム“Brainwashed”(洗脳)を。タイトル曲はアルバムの最後に置かれています。尊師の最後のお言葉に耳を傾けてみましょう。

"Brainwashed"    『洗脳されてる』
Brainwashed in our childhood    子供時代に洗脳されてる 
Brainwashed by the school      学校によって
Brainwashed by our teachers     先生によって
And brainwashed by all their rules やつらのルールによって
Brainwashed by our leaders     我らがリーダーによって
By our Kings and Queens      王様や女王様によって
Brainwashed in the open      公に洗脳され
And brainwashed behind the scenes 秘密裏にも洗脳されてる

  ***

Brainwashed by the military    軍隊によって洗脳され  
Brainwashed under duress      無理やり洗脳され
Brainwashed by the media      メディアに洗脳され
You're brainwashed by the press  君は記者連中に洗脳されてるんだ
Brainwashed by computer      コンピュータにも
Brainwashed by mobile phones    ケータイにも
Brainwashed by the satellite    人工衛星にも
Brainwashed to the bone      骨の髄まで洗脳されてるのさ

わりとまともな文明批判になっていますね。それで尊師、文明に洗脳されている我々はいったいどうすればいいんですか?

Namah Parvarti Pataye Hare Hare ナマ~ パルヴァティ パタイェ~ ハレ ハレ 
Namah Parvarti Pataye Hare Hare ナマ~ パルヴァティ パタイェ~ ハレ ハレ 
Shiva Shiva Shankara Mahadeva  シヴァ シヴァ シャンカラ マハーデヴァ~
Shiva Shiva Shankara Mahadeva   シヴァ シヴァ シャンカラ マハーデヴァ~

お前が一番洗脳されてるじゃないか。

こうしてジョージ・ハリ尊は最後にして最大のボケをかまし、我々を煙に巻いたまま天に昇っていったのです。


Upsidedownmainpage.jpg 執筆コンテスト
本項は第33回執筆コンテストに出品されました。

関連項目[編集]