マスラヲブリ

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マスラヲブリブリの一種。8世紀末頃に絶滅したと言われている[要出典]

形態[編集]

明確な記録は残されていないが、全体的に普通のブリよりも大きかったと言う説が有力である。雌よりも雄の方が多く存在する特殊な魚類で、気性が荒く、少ない雌も活発に活動していた。力強く、伸び伸びと、直線的な泳ぎ方が特徴的であったが、素朴な外観をしていることから当時の人々に好まれていた。江戸時代の歌人・賀茂真淵は「大和国は丈夫国にして古へは女もますらをにならへり、故マスラヲブリはブリの中のブリ也」と言葉を残し、理想的なブリだと言うほどこよなくマスラヲブリを愛していた。ストレスに弱く、環境の変化に敏感であったため、少しの水の汚れでも弱りがちであった。しかしその割に死ぬまでの期間が長かったという。

生態[編集]

奈良時代以前400年前よりその姿が確認されており、主に奈良時代あたりに活動していたとされている。日本全国に生息していたが、都よりは地方の村などで親しまれていた。主な生息地は豊饒の海。群れで活動する時が多く、マスラヲブリの群れを「萬葉衆」と呼んだ。大きく分けて凡そ20の群れに分かれ行動したと考えられている。マスラヲブリを最初に発見したのは磐姫皇后で、これは5世紀前半の事。しかし本当に磐姫皇后本人が発見したのかは不明であり、現在でも議論されている。

西暦760年前後が全盛期で、それ以降も順調に生息地を展開していたものの、平安時代初期よりその数が急激に減少し始め、905年頃に遂に絶滅した。諸説は数多くあるものの、マスラヲブリよりも少しあとから出現したタヲヤメブリとの生存競争に敗れたことが一番の原因とされている。

絶滅[編集]

マスラヲブリの絶滅の一因とされているタヲヤメブリはマスラヲブリと対照的に優雅で、どちらかと言うと知的であった。そのため餌も効率的に獲得していくことが出来たと言う。初めは少数派であったタヲヤメブリも日に日に力を付けていくこととなった。さらにマスラヲブリは農村の人々に好まれていたがタヲヤメブリは貴族などの上層階級の人々に可愛がられていたため、その分高価な餌を安定して確保できたことも勢力拡大の一つの材料である。マスラヲブリはある意味で不運とも言えよう。要するに世の中力ある人間に気に入られれば勝ちである。人間もあながち例外ではないだろう。

関連項目[編集]

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