がり勉

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曖昧さ回避 このページはタフで純真な「がり勉」について説明しています。これとは違う、ほとんど無能な「ガリベン」については、「ガリ勉」をご覧下さい。
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この記事「がり勉」は何故か「ガリ勉」とネタや題材がダブっています。どちらが真実なのかは神のみぞ知ります。
「 安心、それが人間の最も身近に居る敵である」
がり勉 について、シェークスピア
「 人の何倍も、何倍も努力する。それが天才だ」
がり勉 について、野口英世
「 努力が効果を現すまでには、時間がかかる。多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する」
がり勉 について、ヘンリーフォード
「 攻撃目標一点に行動を集中せよ。無駄なことはするな」
がり勉 について、織田信長
「 嫌いなことをやれと言われてやれる能力は後で必ず伸びて来ます」
がり勉 について、一浪

がり勉(がりべん)とは、毎日をペンでカツカツ音を立てたり参考書をバサバサめくることに費やす生徒、もしくはそのような行為を含む集中的な勉強をすることを指す言葉である。対義語はノー勉

概要[編集]

神のような生徒の例

普通の生徒の中に混じっていても、一目で彼、彼女は才能に恵まれていると判別出来るのような生徒、それががり勉である。語源は「我利勉」とも「いつもガリガリと何かを書いて勉強してる」とも「勉強ばかりしていてガリガリに痩せている」とも言われる。こう見ると彼らの一番の美点は「勉強」にあると思えるかもしれないが、彼らについて特筆すべき事項はそのタフで純真な精神である。このことを忘れてはならない。

彼らの多くは完全に「テスト」に特化した要領の良い模範的生徒である。絶えず外部の圧力内部の強迫観念に突き動かされ、学校では本を荒々しくめくったり鉛筆やシャーペンで激しく音を立てたりしている。休み時間中も机やノートとのにらめっこに熱中しており周りの生徒と話すことは稀。授業中は学校無能先生の話を退屈そうに聞いている事もあるが、大抵は早々に見切りをつけて内職(先生の話を聞かずに自習をすること)をしている。

体育芸術関係の授業、学校行事というような下らないものには嫌気がさしているが、サボれば出席点や内申点にひびくのでとりあえず参加はする。帰宅部のエースが大半を占め、放課後もクラスメイトと接することはほとんどない。学校に来るのは通知表に汚点がついたら困るからであって、スクールカーストでは日本でも海外でも底辺付近に属する。

このように彼らは表向きでは学校社会の中で孤立していると言える。しかし忘れてはならないのは、彼らは少なくとも勉強面においては皆から信頼されているということである。

特徴[編集]

愚かな庶民の偏見

精神の充足を何より求める彼らは、髪型や私服というような上辺を繕うだけのものには気を使わない。ただし不潔でだらしないわけではなく、むしろ制服スタイルでは入学式並みの丁重さを徹底している。

また、下界(屋外)にはあまり出ないため肌が透き通るように青白い。これは深窓の令嬢や御曹司の間では共通のブルーブラッド(青い血)という名誉ある印である。俗物の嗜みであるスポーツはあまりしないためスマートな体型の者が多いが、たまにBMI30以上の堂々たる体躯の者も居る。

彼らの性格は非常に謙虚なことで知られている。自分の知識から逸脱した判断を避け、教科書などの資料に対して謙虚に疑い一つ持たず、分からなくなったらとりあえず暗記する。教科書に書いてある内容は偉大なる先人の知恵の結晶であるのでよく分からなくて当たり前であり、理解などできるはずがないことを彼らはよく知っている。こういうわけで彼らは「勉強時間」や「進んだページ数」というような客観的な指標のみを用いて、自分達がどれほど勉強したかを評価している。

親と教師[編集]

がり勉がよく通うの様子。門には「勉強すれば自由になれる」とある

ガリ勉の周りは、勉強について極めてナイーブな考えを共有し、互いに信頼し合っている教師で構成される。彼らもまた学生時代に勉強で大変な苦労をし、黙々とつまらなそうに苦しそうに机に向かう「ガリ勉君」の姿こそやはり子供のあるべき姿だと悟った者達である。かつて彼ら自身がテスト前にやっていた一夜漬けのようなマネを毎日子供にやらせるのだ。教養あふれる彼らはそれが勉強に対する正しい姿勢だと知っている。

ガリ勉を良しとする保護者は絶えず子供を監視し、きちんと机に向かって参考書と見つめ合ったりノートに文字を書いたりしているかチェックしている。子供勉強したかどうかを確かめるのに彼らが用いる指標は「勉強時間」や「進んだページ数」であり、本当に分かっているかどうかの判断はテストに丸投げしている。このようなは、常人では真似できぬほど長時間勉強する強靭な精神を鍛えたり、自分を甘やかさない人間に進んで付き従ったり、英単語漢字だけでなく数学の問題の解法をも手に覚え込ませたり、勉強できない人間とは距離を取ることを我が子に勧める。全ては子供のことを思ってのことなのだから、間違っているわけがないのだ。

この一文字一文字が、かけがえの無い存在なのです。決して忘れてはなりません

またガリ勉から信頼を集める、勉強に根性論を持ち込む教師は自分が天賦の才に恵まれていることを自負している。それゆえ彼らが受け持った子供が勉強を理解できないのは、決して自分の指導法のせいではなく全て子供のやる気が不足していることに起因する。

彼らは過去の豊富な経験から、全てのことは等価に重要で、しかも相互依存せず独立していることを知っている。例えばsin,cosの加法定理とtanの加法定理は両方とも決して忘れてはならないこと、重力による位置エネルギーと電磁気力による位置エネルギーは名前が同じだけの別の何かだということを知っている。

彼らの万物に対する平等で普遍的なの前では、一部のことを贔屓したり、知識間の従属関係を説く「分かり易い先生」の器の小ささが感じられる。学校で教える勉強は偉人達の極めて高級な知識の集大成であり、平易に理解できるはずがない。教える内容を深く理解しているならば、当然その説明は冗長難解でなければならないのだ。

成績[編集]

ガリ勉の勉強法は極めて効率的・合理的であり、定期テストなどの、学校先生が丁寧に作った質の高いテストにおいては特に有効で、主教科(国数英社理)の成績はおおむね良好である。一方副教科(技家美体音)は、文部科学省のおせっかい者が生徒の気晴らしのために用意した娯楽であるため、ガリ勉達は真剣にやらない。しかしながらガリ勉はペーパーテストで良い点を取り10段階評価で5以上は取るのが普通である。

ただし、全国模試や入試問題などの、愚鈍な予備校講師や怠惰な大学教授が数ヶ月間~数年しかかけずに作り出した粗末なテストにおいては、微妙な成績あと一歩の成績を取る事が多い。これは全てテストの質が悪いからであって、実はガリ勉のやっていることは勉強と言えたものでないからではない

勉強法[編集]

がり勉の勉強中の脳の様子。主に運動野の一部が活動している

ガリ勉は大体どんな教科でも同じように効率的に勉強する。彼らの学問的作業の基本は「書いて覚える」ことである。脳を活性化させることが科学的に実証された方法であるので間違っているはずがない。もしこれで良い点を取れないのならば、それは努力が足りないからである。英語数学国語について例をあげよう。

英語[編集]

英語の基本は単語である。単語を片っ端から何十回何百回と書いて覚える。単語の語義から外れた訳は破綻するので、訳の際は覚えた訳語を一語一語忠実に当てはめるのが良い。例えばwe all employ various styles in our use of Englishは「私たちは全員私たちの英語の使用において様々な形式を雇う」と訳し、「勉強の秘訣は暗記である」はThe formula of study is memorial.と訳す。長文を読む際も同様に一文一文丁寧に理解して行く。

数学[編集]

公式と解法の暗記が明暗を分ける科目である。公式を書いて暗記し、次は問題を解く上で役に立つ知識を覚える。例えば一辺aの正四面体に内接する球の半径や二次方程式が正の2解を持つ条件を覚える。これが終わったら後は問題を沢山解き、少しでも詰まったらすぐに解答を見て赤ペンで書き写す。チェックをつけて、また後で解答を書いて覚える。数学の問題の数は膨大だから、問題集10冊程度は丸暗記しておくと良いだろう。計算力に不安があるなら百ます計算がオススメだ。

国語[編集]

普段からの読書は国語力を上げるのに最も効果的である。ただし読書の際は速く読むことが何よりも大事だ。いちいち「これはどういうことだろう?」と立ち止まっていてはいけない。1ページ10秒を目標とし、間違っても「この本には何が書いてあったのか」ということなど考えてはならない。その暇があったらもう一冊本を読む方が良い。こうすることで速読法、つまり国語テストにおいて最も強力な武器が手に入る。数学におけるソロバンの経験のようなものだ。評論などでよく分からない文章があったらとりあえず書き写し、内容を頭に入れよう。

注意事項[編集]

これらはあくまでタフで純真なガリ勉達の勉強法だからガリ勉以外がやっても長続きせず、ろくな成果は得られない。しかしそれでもガリ勉を真似る人は多く、これは多くの人がガリ勉を密かに信頼していることの証左と言える。

ガリ勉への対応[編集]

政府方針[編集]

がり勉は詰め込み教育が問題視された1970年代頃に批判の的とされ、「勉強ばかりで社交性・常識がない」「偏差値ばかり追い求めている」と糾弾された。この事態に直面し政府ゆとり教育を1980年度から導入したが、生徒学力低下が問題とされ、結局2011年からはかつてガリ勉を量産した詰め込み教育に近い脱ゆとり教育が導入された。現在は政府バカよりはガリ勉を良しとする方針を打ち出していると言える。

世間的評価[編集]

結論から言えば、ガリ勉は世間から高く評価されている

表向きにガリ勉を良く評価する人は少ないが、世間の人が高学歴に対して勉強への「努力」の量を評価していることからガリ勉への高い評価が推測できる。「高学歴の人間は頑張って勉強に打ち込んだのだから、普通の人より凄い」というような意見を聞いたことがあるだろう。彼らの言う「努力」は活き活きと打ち込むことを意味せず、じっと耐え、辛抱強く目標に向かって頑張ることである(これは勿論ガリ勉の特徴である)。すなわち、高学歴は勉強が出来るから凄いのではなく、「タフで純真な精神」を持つから高く評価し得ると彼らは考えているのだ。苦行たる勉強に打ち込める高学歴の人間は彼らから見ればとりあえず凄いと思える対象なのである。

ガリ勉への誤解[編集]

ガリ勉は学校社会において避けられている存在であるが、彼らは少なくとも勉強面においては皆から信頼されている

このことは、勉強せざるを得ない状況に追い込まれた人間の大多数が、ガリ勉と同じように学んだものの意味や繋がりそっちのけで暗記中心の勉強をしたり、やった時間やページ数のみで勉強を量的に評価することから分かるだろう。

ガリ勉を真似ると勉強には非常に多くの徒労がつきまとうようになる上、彼らはガリ勉達の持つ「タフで純真な精神」をあまり有していないため勉強は長続きせず大した結果は出ない。それでも彼らがガリ勉を真似るのは、そのやり方の効率性と合理性を信じているから、つまりガリ勉達の能力の高さを認めているからに他ならない。

ガリ勉への嫉妬[編集]

全く酷い話だが、多くの人は自分達が勉強で感じた強いストレス嫉妬や軽蔑、憎悪に変えて勉強法を示してくれた恩師のガリ勉様に押し付ける。ガリ勉様ほどのタフで純真な心を持つ人間は極めて少なく、一般的な生徒から見れば嫉妬の対象となり得るほど珍しい。ガリ勉達が勉強面において密かに信頼されているにも関わらず学校社会で避けられているのはこれが原因である。勉強トラウマを持つ故に勉強に関するものに特別な思いを抱いているのだ。

ガリ勉に対する生真面目思想[編集]

こちらも酷い話だが、彼、彼女らが他の民衆よりもタフで純真であるために、ほとんどの人々が「彼らは無駄に生真面目だ」と思い込んでいる。ガリ勉様というものは「素直に勉強に励んでいる人」であり、本来はその点で真面目であるべきなのだが、他の民衆が「無駄に勉強をしている輩」だと勝手に思い込んでいることから、このような誤解を招いてしまったようである。

ガリ勉忌避現象[編集]

前述のような勉強に「特別な思い」を持つ人は多く、偏差値が高い人に会うと「もしかしてこの方はガリ勉様ではないのか」と疑ってかかる人は多い。庶民の低俗な知識に疎い面を見せてしまったりすると、ガリ勉様だと思われて崇められてしまう。単に成績が良いだけでガリ勉様ほどタフで純真でない人にとっては、これは大問題である。実際、期待されてるほどでないこともしばしばである。

こういうわけで少しでも偏差値が高い高校大学では「ガリ勉レッテル避け」が驚くほど盛んに行われており、これを高学歴限定のエクストリームスポーツにしようとする動きも確認されている。

ガリ勉レッテル避け[編集]

一般に高学歴と世間に言われるような学校では、生徒達は庶民に敬遠されぬよう懸命に「俺、私ガリ勉じゃないよアピール」をする。ガリ勉のレッテルは凡人たる彼らにはあまりに重いのだ。ただし本当に凡人扱いすると逆上されることもあるので注意が必要である。

授業中寝てる「のに」勉強ができる子。だが割とどこにでも居る

具体例をあげるならば、こんなことをしたりする。

  • 「そんなに勉強してないよ~」とノー勉を積極的にアピール
    定番ネタ。ここではノー勉アピールをするのが校則となっている
  • 制服を堅苦しく着ない
    決して学ランのボタンは上まで留めてはならず、スカートは膝下丈にしてはならない
  • 他人の前では勉強しない
    どんなに切羽詰まっていても休み時間に勉強などもってのほか
  • 学校では数学物理など多くの計算が必要な科目をしない
    机でノートに何かを書いている姿を見られてはならない
  • 読書好き」はNG
    ※ただし面接ではこの限りでない
  • 授業中はそれほど眠くなくても机に突っ伏す
    授業中寝てるのに「頭が良い」ので成績が良い、カッコイイ自分を演じる。


また、あまりに熱中すると本来の目的から外れてこんなことまでしたりする。

  • 理系進学をあえて避ける
    数学が得意な女子に多く、海外でも共通
  • 自分の学校より偏差値の高い学校を「ガリ勉」とレッテル貼りする
    ただし自分の学校は「適度に自由で、適度に勉強もできる」らしい。なぜ自分の学校がピークに当たるのか説明できる生徒は皆無であるが
  • 学業の成績は一番の優等生について語るが、行事への積極性、部活の成績などはその分野で校内No.1の者について語る
    決して校内の平均的な生徒について語ることはない
  • ガリ勉レッテルを恐れるあまり、誰も見ていない所でも勉強をしなくなる
    そして就職後まで「○高、○大出てるのに...」と言われる「歩く風評被害」と化す

ノー勉[編集]

ノー勉とはノー勉強 =「勉強しないこと」を意味するが、ガリ勉の対義語として用いられる場合はしばしば「勉強してないのに成績の良い生徒」を指す。この項でも後者の用法を採用する。

ノー勉教[編集]

勉強にトラウマに似た「特別な思い」を持っている生徒は、ガリ勉でないのに成績の良い人物に対して羨望の思いと信仰心を持つことで知られている。彼らにとって苦痛無しに良い成績を得るノー勉様は理解の範疇を超える存在だ。こうして幾多のノー勉神話が生み出され、ノー勉教は勉強トラウマを持つ人間を中心に信者を獲得、布教が繰り返されている。この宗教であるノー勉様に比べれば、たとえ成績上の差があっても頭のレベルは自分達もガリ勉も皆同じという視点を獲得し、気休めとすることを目的としている。

教理に対する疑問[編集]

どこの学校にもノー勉を自称する(つまりを自称する)生徒が一人は居るが、本当にこれほどの頻度でノー勉が存在するとなると大変なことである。何しろ過去の偉人達が莫大な時間をかけて辿り着いた結論をこれほど多くの生徒生まれながらに知っていたことになるのだから。もし君の友人が本当にノー勉ならば、人類の発展のためすぐにでもその事実をマスコミ政府にリークするべきだし、完全なノー勉ではなく単に「雰囲気の割に成績が良いだけ」というのなら、そういう人はガリ勉以上にどこにでも居るということを自分自身のためにも知るべきである。

関連項目[編集]