あさかぜ (列車)

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あさかぜは、かつて東海道本線山陽本線鹿児島本線に設定されていた寝台特急列車の名称である。竜頭蛇尾を象徴する列車の一つに上げられている。

概要[編集]

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「あさかぜ」は昭和31年11月19日、東海道本線の全線電化が完成したときに東京九州を最速で結ぶ列車として設定された。このときは「車両の質より速達性」ということで、相当オンボロな車両を用いて運転を開始したが、松本清張の「点と線」で登場して知名度を向上させ、昭和33年10月に晴れて日本初のブルートレインとして近代的車両を用いた列車に生まれ変わった。

なお、この列車は関西圏を深夜に通過する時間帯設定であり、それに対し地域民から相当の反発を受け、説得を終えた上で設定されたことは良く知られている。それは「大阪京都を軽視した」という心情的なものだけでなく、駅の係員が「何でこんな列車一本のために、深夜に起き仕事をしなければならないんだ」と主張したという、手間・労働的な理由もあった。

そのため東京の人は苦慮し、「大阪については大阪駅を通らず、その北を通っている貨物線(北方貨物線)を通過して、迷惑かけないようにしてあげようか」と提案したこともあるらしいが、さすがに無視されるのは大阪人のプライドからして受け入れられるものではなかったらしく、しぶしぶ深夜の停車に同意したという。

さてブルートレイン化された「あさかぜ」は、今となっては幅が狭い上に3段寝台(起き上がれない高さ)と拷問に見えそうなB寝台車を連結していたにもかかわらず、A寝台個室の豪華さなどを理由に「走るホテル」と尊称された。東海道新幹線が開業した後も、しばらくはその威厳を保ち3往復に増発されるなど、まさに栄光の時代を送っていた。

しかし山陽新幹線の全通、日本国有鉄道の度重なる運賃・料金値上げにより、昭和50年代から急速に衰退をはじめる。国鉄末期の昭和61年11月には車両の近代化などてこ入れも図られるが、運行路線がJR東日本JR東海JR西日本JR九州と4社に分断されてしまったことにより、どの会社も余り力を入れなくなり、衰退に拍車がかかった。平成6年に博多駅に達する1往復を廃止した後、しばらく下関止まりの1往復が健闘するが、平成17年に遂に力尽き、「あさかぜ」の歴史は終焉を迎えた。

サンライズな285系寝台電車にも当初は方向幕が用意されていたが、もはや広島発着の「サンライズゆめ」すら設定されない所か車両自体が体質改善工事をしたと言う維持出来るかが崖っぷち状態なので、「あさかぜ」幕は既に黒歴史となっている。

注意[編集]

「あさかぜ」は上述したとおり、東海道本線の落ちぶれた列車の名称であって、アンサイクロペディアンとはあんまり関係ない。そんな奴の影響力はきわめて小さいと思う・・・多分。


東西線で押しくらまんじゅう.jpg この「あさかぜ (列車)」は、延伸の案が出ています。延伸して下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ)